特別深い接点はないけれど、元職場に入った若手女性研究者の「ため息」を目にし、今超忙しいんだけど、つい書かずにいられなかったので書いておく。本当はもっといろんなことがあるのでそれもきっと書く必要があるんだけど。
研究者、所詮マイノリティだし、女性研究者で走り続けたい人はさらに少数派だし、共感される生き方だなんてこれっぽっちも思っていないよ。
私は、助教1年目で、完全に精神をやられました。原因は複合的ですが、トドメを刺したのは親族でした。
息子がADHDっぽいということがわかりかけていた小1の時、親族が自身の大きなパーティーに息子を呼び、そして息子がそこでハイになってわちゃわちゃしたのを、「お母さんが研究なんかしているからだ。**(私)は自分の名声のためにエゴで研究をしている。息子がまともに育てられないのに大学院に行くのは良くない。」という指摘を執拗にメールしてきたことが、私を殺しました。私は叔父を赦さない。
研究をしているのはエゴです。私は、私の好奇心に従って探求をしています。名声はどうでもいいです。しかし、それを仕事にしていくためには、すなわち食っていくためには、さらなる就職と博士号取得がマストなのは明白でした。博士号取得というのは、少なくとも私の母校で取るためには、万難を排し、全ての周囲の音を滅却してやっていかねばできません。
寧ろ、あなたはそれができますか?そういう人生を歩くのですか?という踏み絵だった気すらしています。
病棟から博士論文の予備審査に行ったことは、今となっては良い思い出と言えるでしょうか?それは私だけの問題だったのでしょうか。いえ、きっと、みんな黙っているだけで、様々なところで、こどもを育てながら研究を続けてきた人には、言い出せない話があったと思います。
両立なんて甘い。それは、できないと言っているのではないのです。両立できるって私も思っていましたが、入院を経て、私は決めました。
すべての事項において、私は研究を最優先でやっていく。他のことは、研究活動に支障がないか、プラスになるかで判断していく。他人に何を言われても、やっていく、という覚悟を持つ。
私が料理を作っているのは、女子力アピールではありません。私は私が快適であるために、料理をしています。私は私のために、恋をしますし、こどもと接します。
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すべて、すべては、私がやりたいこと、すなわち、研究を継続するためにやっています。
覚悟をした時に、私は1回死んだんだと思っています。しかしながら、このマッチョな思想に、人を巻き込んでいいのかという気持ちになることがあります。それすら考えず、人のことは考えず、やっていこうと思っています。
私は多大な犠牲を他者に強いて、研究を継続しているという自覚があります。感謝しています。
息子が昔言いました。
「お母さんは世界を変えるんだって僕信じてるよ。」
私も信じていました。お父さんが家に居ないのは、国を変える仕事をしているからだって。もう今さら、そんなことを言う気もありませんが。