夜もすがらもの思ふ頃は

13歳の私を思い出していた。

話したいことが尽きなくて、図書室の書棚の奥に椅子を持ち込み暗くなるまで年上の友と話をしていた。哲学も評論もフランス文学も映画も音楽も恋も、みんなこの時に出逢ったものだと記憶している。帰り道もずっと話しているのに、それでもまた次の日、朝早く図書室に行き、私たちはとめどなく言葉を交わした。そんな中学時代があった。

 

もっとも、中学1年のときは2年と3年がいたのに、3年に進級したときは友はみな卒業してしまった。私は1人残されてしまったので、教室にすごすご戻っていった。

豊かでかけがえのない季節は、実質たった1年半だったが、ある意味それが私の中学時代の全てであり、原点だと言ってもいい。その後しばらくは、過ぎし日をノスタルジックに想いながら、それでも友と再会することを願い、その時恥ずかしくない自分で居たいという想いだけで踏みとどまっていた。

 

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私には、なぜあの時のことを鮮明に思い出すのかわからない。あれが青春だったからなのか、私が生きることを輝かしく思ったからなのか。何色のカチューシャをして行くかは、私にとって日々の重要な問題だった。カチューシャの色に合わせたアイスクリームを食べ、その姿を友に見せるのだ。

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生きる術として大学院に入り、遅ればせながら人並みに就職をした。いつの間にか研究の話ばかりをして過ごし、それが最も充実した日々だと思っていた。

研究は好きで、今では研究者が天職と思っているが、私は「学習」すなわち、生きることそのものについて研究をしているので、ここ最近の私はいささか焦りが勝っていたのかもしれない。

大学時代、映画のシナリオを書いていたころ、師から書くものと経験が追いついていないという指摘を受けたことがある。まさにそんなシーソーだろう。

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背伸びするのもいいのだけれど、日々丁寧に生きることには真がある。そもそもが日々を丁寧に生きていたからこそ、背伸びして話が尽きなかったのだと思う。

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そういうわけで、イスラエルにいた時のことを何もまとまって書くことができないのは、私が何を見たか、何を考えたかということを最早通り越してしまっていて、私は、すっかり新しい自分になってしまっているからなのだと思う。何もかもが混ざり合ってしまって、自分の中から取り出せなくなっている(ベイトソンの学習Ⅲだろうと思う)。

 

実際、帰路につく4月4日にはFacebookに下記のような投稿をしている。

旅に来て思うのは、同じものが同じように見えなくなる感覚です。行きにも見た空港広場も、地中海も、見慣れないヘブライ語も、今の私には確実に違うものになっている。すなわち、「知っている」ものに変わるのです。

そうなると、その場と私との関係は変化し、新しいものが創り出されていきます。私にとって、新しい場所に行くことは自分を確認するための大切な意味を持ちます。

きっと、これから帰る故郷、東京は、私にとって少し違う世界になるでしょう。
新しい東京、少し不安ですか、早く会いたいです。

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もう、出発前の自分の思考を思い出せない。同じように生きていくことは、もうできそうにない。兎に角、丁寧に生きていきたいという気持ちになった。

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少なからず旅にはそのような功罪がある。そこに言葉を交わす相手がいる場合は尚更である。私の人生にはいくつか転機となった旅があるが、そこには必ず、友がいて、言葉があった。

現地で会い現地で別れるというその関係性の中には、旅特有の愛くるしさがあるので、時々私はその感覚を追想するため、別の旅に出る。彼/彼女の言葉は私の中に内化され、じきに1人で居てもそこで対話が繰り広げられ、少しも寂しくはないのだ。

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そう、私は、これからも少しも寂しくはないはずだ。

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最後に、自ら遠くに行った息子について。彼は逢いたいと言ってこないけれど、逢ってしまうと寂しそうにする。ちょうど、寒いところから部屋に入ってきたら急にぶるっとなるようなあんなものだろうか。彼もまた、日々を丁寧に生きているのだろう。

 

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