交差路

神戸大に初めて行きました。かなり山の上高くにあり、見晴らしが良かったです。

 

面会相手の先生には、いきなりメールを送って時間を作ってもらったかたちです。

学会ではお話を聞いたことがあったし、単著も読んでいたけれど、直接話すのは初めてでした。勇気を出して連絡してみてよかったと思います。

 

今回は、新しく本を創りたいので一章書いてください、というお願いに行きました。きっと相手はびっくりしたのではないかと思います。でも、その先生はとても優しく、そしてまっすぐ、楽しそうに、私の持ってきた企画書の中身を丁寧に追い、一緒に練ってくれました。研究者の教育に関心がある人だったのだと思います。そういう意味でも私は幸運でした。打ち合わせの中では、研究者としてのキャリアの中であったさまざまな出来事や、大学院に入る前の企業での経験、そして留学の話もしていただきました。

 

彼女も私も同じ性別、即ち女性だった、ということも、話題がそうなっていったことに少し関係あるかもしれません。私はそういえば、これまで女性の研究者に研究指導を受けたことがほとんどなかったのです。博論審査の5人の先生の中にも女性は居ませんでした。すると、卒論指導の故 千野香織先生以来かもしれないです。

性差なんて関係ないさと思って気にせずやってきましたが、やはり、進路選択において女性ならではの悩みというのも自分の中にはあったのかもしれません。そういうことを口に出すのも、いや、そういうことを思っているというだけでも悔しい気がして、何も言わないで行こうと思っていた時もかつてありました。でも、そんな風に考えなくても、もう、女性だからとか女性ならではとか、そんなこと何も気にしないでやれそうな気がしています。(研究を始めて10年も経つと、自分は何をしてきて、何をしたいのかは自分で考えたい、それに女性だというのはキャラクターの1つとしてついてきているだけであると思える。)

 

私は、すこし混乱をしながらも、一生懸命、相手の話を聞いて意見を返しました。知らないことが多く、同じ速度で考えて自分の意見を話すのはなかなか大変でした。これがディスカッションだし、研究はこれからはこうやってやっていくんだろうと、少なくとも、博士論文を書いたあと、私は違う研究の仕方をしなければならないのだと(ポジティブな意味で)と思いました。別なステージに来たんだなと確信したとともに、気を引き締めて挑戦しなければならないと思いました。

 

なぜ混乱したかというと、

私はその先生と話しながら、自分がもうじき留学したくなるのではないかと予感したからです。私は、とっさにその準備がまだ出来ていない、今すぐだと、いろんなものを棄てなくてはならなくなると思いました。棄ててもいいようにも思うのです。でも自分がまだついていけないと思うところがありました。

Harvardに興味深いプログラム?仕組み?があるらしいことを知りました。うーんアメリカは正直好きじゃないんだけれど、キッチンがあればいいかもしれないし、soyjoyをいっぱい持っていけばジャカルタでも食事はなんとかなったしなあ。短期留学をしたい、お金がいるなあと思いました。お金がいるということは稼がなければならないということです。仕事をするモチベーションが生まれました。まだ相談できるような段階ではありません、とにかく抱えた案件をやり遂げないと話にならないです。

就業していても行ける留学支援のプログラムを探してみたり、そういうのに行った人の話を聞くのもいいかもしれないと思いました。

 

人生で、ごくわずかだけれど、デジャブのようだと思う時があります。あなたとは初めて会ったように思えない、という人に会うことがある。どこに居ようと、会ったことがまだ無かろうと、もう会うことが無かろうと、その人は「居る」んだろうと。

 

新幹線に乗る前に、梅田の地下で串かつを食べました。人生で初めて串かつを食べたのは出張先で、大学院での指導教員とです。食べたことがないと言ったら大阪に来たんだからとご馳走していただきました。以来、私には、串かつはすこし特別な食べ物です。

 

そして、梅田の地下も私には特別な場所です。人がたくさん歩いていました。梅田は本当にごちゃごちゃした駅です。美味しかったです。