評判が悪いらしい

「あなたの博論は拝見しましたし、うちの研究室内でも評判が悪いです。そのような博論は拙速でも私は書きたくはありません。」と、SNSで言われた。そのツイートはすぐ消されたが。なんだったんだろう。

攻撃されたとは思っていない。審査で読んでいただいた5人の大事な先生の(その研究室は受験するか最後まで迷った)研究室の、その博士課程院生にそう言われたのだから、私はすこし胸に手を当て反省すべきだ。その大事な先生に、叶うならば、単著初稿の前に私は、きちんと相談をお願いしたいとも思った。若輩たった9年でやった研究、課題があるのは承知である。方法に根本的問題があるのか。誤字脱字が多い?文がひどい? 

まだ本の刊行まで時間はある、できることは最善を尽くしたい。

 

残念だ。でも、構造的には仕方ないかもしれない。

すごく冷静に言うならば、インフォーマルな学習環境デザインは、全てのひとに開かれたものであってほしい。だから、それに関する専門職・高度な専門化に対して、前提としての疑問を私は持っている。

それに対する権利や主張をしたい一部の人にとって、私のしてきた調査は何も喜ばれないし、寧ろ憎悪の対象になっていることは、私は感じており。それに潰されないのはなぜかといえば、私はその現象を、興味深く思いながらも、その動向の先50年に何があるかを考えているからだ。

 

 あとは、過去に書かれたものを、その本質を汲んで叩きのめし新しいものを書いていくという姿勢は嫌いじゃないので、そういう意味でも、評判が良くないのは上等じゃない、でも読んだのねと思うところは、ややある。

 

ちなみに、博士論文は拝見ではなく拝読だと思うし、拝見しても何がわかるのかと思うので拝見しかしてもらえなかったんだったら私の力不足です。頑張ろう。言葉の綾と言われそうですが感覚がすっと出るときあります。私はそういうのを察します。