歴史は綴られる

「プレイフル・ラーニング:ワークショップの源流と学びの未来」(三省堂刊:上田信行・中原淳著)が、12月に刊行予定だそうだ。

嬉しい知らせだ。

 

上田先生が本を書くことを楽しみにしていた。かつて、上田先生に本を書いて欲しいと心配し相談してまわり、実は陰で泣いたこともある。この実践を支える思考が残らないなんて、外に広く出ないなんて、、、、と、半ばこどもっぽいセンチメンタルな感情があったことをここで告白しよう。

 

上田先生によるワークショップの本は、私が学生の間、待てども待てどもなかなか出なかった。ようやくなので、ほんとうに感動で涙が出る。

 

上田先生のワークショップを観察しに行ったとき、そこでやっていることはすごく深い思想を背景にしていると思った。即時的判断には、繊細で重要な意味があると思った。上田先生はモデルをつくろうとし、そして実験の中でそれを創り続けていた。

 

それを修士学生の頃、私の一番近くにいた中原先生と山内先生にダイレクトに伝えたくて、東大でとあるイベントを企画したこともある。ワークショップに関心ある後輩がいれば、上田先生の実践がある時、一緒に行ってみないかと誘うこともした。

 

上田先生に感謝している。上田先生が大好きである。

 

でも、私の研究は、今も昔も、上田先生についての研究、ではない。

 

「ワークショップ」が生まれてきたこの100年という時代と、そこを生きてきた「実践者」と、これから生まれていく「実践」のことを考えるために、私は研究を続けてきた。それが留まっている何かから脱却するための自分の中にある「問い」だった。

 

私は1人の「ワークショップ実践者」として悩み、その問いを突き詰めた結果、「研究をする」という道を偶然にも選んだに過ぎない。

 

実践者自ら「語る」だけでなく、実践者自ら「書く」。書くとは強い力があることで。時に恐ろしいが、やはり面白いのだ。書いて残したいと思う、これも人の業だろうか。

 

歴史は語られる

歴史は綴られる

歴史は批判される

歴史は纏められる

歴史は焚かれる

 

人は死ぬ。

歴史は死なない。

 

歴史を綴るというのは、すごい発明だと思う。

だから私は、書くことをやめない。

だから私は、研究をやめない。