トンネルが長い

どうせだめなんだよなあ… という気持ちのまま生きているところがあって。

 
頑張っても報われない人がいることを、いつも気にしていたら
生きているの辛くなっちゃうんだよ… ほんとに。
そのこと、忘れてやっているんだよ。

 

だめであったほうが都合がいい、みたいな生存戦略を取りがち。蔑まれている方が楽に生きられる気がしてしまう。だって、生まれたときからその存在が蔑まれる側にあるわけなので。こういうのがジェンダー論の真の敵なんでしょうね。でも、女性だからだけではなく、東京に生まれたとか、気質の問題とか、もう既にハンディキャップとしてカウントするとキリがないっていうか。そう捉えないのが大事!って高らかに言うのは勝手だけれど、実際にはいくつもの困りごとの中で暮らしているわけであって、仕事が手に入っても今でも、「運がよかっただけ」「ずるい」「中身がない」と思われているんだと鬱々する。それでも、そういう声があったとしても、仕事を失うことはやっぱりできなくて、それは家族がいるからっていうのもあるけれど、アイデンティティというか。生きていることができなくなってしまう気がする。

 

生きている限り、自転車操業みたいになってしまうのかしら。

 

よくないことばかり考えるのは、余計いろいろよくないというのもわかっていて。できることは認めてできないことは励ましてみたいな関係の人と付き合っていけるといいんだけれど、なかなか、人と人との闇というのはそういうことを赦してくれない。気晴らしをしては、闇に戻っている感じもある。