幸運な人

また新しい研究計画の助成金が通った。

通るように考えて書いたので通ると思ってはいたけれど、やっぱり通ると嬉しいものである。

 

つい最近「酒に酔ったふりもできないなんて残念な女」と、どうでもいい感じの人に言われた。

未だにこういった言説に晒される。「可愛げが無い」は言われても別に構わないのだが、「残念だ」と言われるのは特に遺憾だ。私が女として残念なのではなく、おそらくその人が「残念…」なのだと思う。もし、意中の人が酔ったふりを期待するならばそうするのかもしれない。もっとも、私は酔ったふりをしてほしいと望む人に惹かれることが無さそうだが。

 

私のことを他人がどう思っているのか、よくわからないし考えても無駄な気がしている。よく運がいいだけとか、ずるいとか言われてきた。中身が伴わない、賢そうに見えない、欲深い、みたいなイメージがあるのかもしれない。私の中では欲深いという感覚はない。やりたいことがもしかすると少し多いのかもしれないけれど、気にしたことがない。

 

あと、自分の特性を説明することも難しい。計画的、分析的、戦略的だということと、情熱的で行動的で直観的であることを、どのようにつなぐか。この10年ほどは、「何人かが自分の中に棲んでいて会議をしながら暮らしている」という捉え方をしてきた。

 

たぶん、いろいろな側面の私がいると思うが、少なくとも私は私を残念だと思ったことはない。たのしく生きている。