今年度も終わる

補講が終わり、今年度の授業が全て終わった。

どのクラスも思い入れのあるものだ。

先日、授業デザインについて書いた投稿がかなり読まれたようだ。Facebookについたコメントで印象的だったのは、授業デザインについて学ぶ機会はなかなか無いということ。特に、評価法、シラバスの書き方、インストラクショナルデザインポートフォリオ、など概念レベルで研修が組まれるけれど、抽選どうやる?出席率はどうあげる?寝てしまう学生はどう減らせる?みたいなものは経験に紐付いたティップスとして蓄積されがちである。大学教員が、キャリア初期は相部屋のケースがあるは、単なるスペース問題でもなく、同僚性構築に寄与するのかな。

同僚が飲みに行きたいと言った場合、セクシャルな意味で嫌な想いをしたこともあり、そんなに乗り気になれないわけだが。実際にはそんな機会でもないと、実践知が共有されにくいのかもしれない。そんな出無精の私には、ブログが楽である。あとは研究会。

初年次教育を2クラス、初年次教育再履修を1クラスもって考えたことを下書きに置いているので、その辺もきちんと、アウトプットしていく。データを取ったので、来年度は初年次教育に関する論文も書くことになっている。

ワークショップ実践者の熟達化研究からスタートした研究キャリア。でも、出身大学以外に勤務するなら、新しいことをしてみたくて、最初の仕事はFDがいいなと直観し公募に出して縁あり今がある。大学に勤務するなら大学教員をどう育てるかという取り組みや、大学を取り巻く仕組みに近いところを見てみたかったのだ。FDerの専門性、大学教員の専門性。こんなことを考えていくと、ドナルド・ショーンの省察的実践家の議論に繋がってくる。高等教育研究が、教師教育の知見とも、重なる課題が見えてくる。

数年前はなんの興味も無かったことに、関心を持てている自分。やはり、新しい仕事というのは、私に新しい世界と新しい楽しみを見せてくれるものだなあと。

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