沈黙しない気力

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結局、自分が(これでも)ある程度言える、書ける、あるいは言おう、書こうという気持ちになっているのは、それを不当だと思えるようになったから。私の場合、大学院に進んだこと、研究職についたことが大きい。

外側の世界に行って、あるいは突き抜けてから初めてわかる、「あの不当さ」というのがある。

 

つまり、言える人というのは既にそこに辿り着いている。本当にしんどいのはきっと、言えない人だし、言うという気力が持てないひとだ。そして、たまに私もそうなる。言っていくこと、気力を持続すること。報われないことを続けるのはなかなか大変である。だから、今後もこの流れは止まらないだろうけれど、かといって楽観的な感想は持てない。

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