趣味をめぐる交錯性とソーシャル・キャピタル

趣味をめぐって人がつながるという、奇遇、いや必然がある。

たまたま参加したとあるワイン会で、1人で居た私のところににこやかな見知らぬ男女が声をかけてくださって、饒舌にワインへの愛を語っていかれました。そのうちのお一方が書かれた本があると聞いて、タイトルにも惹かれ買ってみました。

harinezumi-winecellar.hatenadiary.co

実際、ある時代にそこまで普及していなかった文化というのは強いネットワーキングを見せることがある(※日本においてワインは今ほど多くの人に楽しまれていなかった時代を経ている)。また、それが時代の変化によって消費が増えてからも、多層性により新しい核を持って渦のように展開することがある。

また、趣味間の関連性というのもあり、趣味は背反しないで併存しうる。会社や所属ならば(「従来は」と強調したい)原則1つへの帰属が一般的だった。日本において婚姻なら原則相手は1対1と思われるところが(これも「現在は」か?)、趣味は複数持っていても、「浮気」とはならない。コミュニティほど輪郭性が強くない、ネットワークなので、離脱でも参入でもない。時代は流動性、実は人ベースがつながっているだけで、壁はないのだ。そこでの主役として語りうるものは、個人であり主体なのだと思う。

f:id:hari_nezumi:20171104190352j:plain

 

追記:

「ワイン/人との出逢い」を一層抽象化すると、「趣味(あるいは関心)/交錯性」といった感じになるだろうか。それを支えるのはコミュニティと呼ぶよりもネットワークと呼ぶ方が私にはしっくりくる。ちなみに、私がblogを複数持っているのは、思考を階層化・メタ化することに寄与するしそれぞれのレイヤーで読み手と議論しやすいと実感しているからでもある。

 

備忘録:趣味におけるハイコンテキストさについて