夏休みのレポート

もっと本当はいろいろ考えていることがあるし、楽しいことも考えているのだけれど、どうしても疑問に思ったので先にここにメモしておく。

 

以前、自由研究を出す先生は自由研究とは何かを知っているのかというような問題提起をするblog記事があった。夏休みになるとよく、誰かが拡散するので思い出す。

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「夏休みの自由研究」とはそもそも「何」なのか?:テーマ選びの際に考えておきたい3つのポイント

 

私には中学2年の息子が1人いる。

夏休みの宿題真っ最中で、リストを見ると自由研究は無いらしいが、各教科で様々なレポート課題があるようだ。彼は私が大学でレポートを添削したり書き方を教えたりしていることを知っているので、「レポートってどう書くの?」と聞いてくる。私には手加減が難しく、自分が大学生にこう書くようにと教えている通りのフォーメーションを教える。実は、及第点に至るための留意すべきことはそこまで多くない。

 

自分が大学時代も、他人のレポートに深い助言(敢えて代筆とは言わない)をしていたことがある。私は書くのが好きなので、レポートで成績がつく授業ばかりシラバスで選んでいた。テストより楽勝だと思っていたからだ。

 

では私はいつレポートの書き方を習ったのか。それは中学1年の自由研究をやっていたときではないかと思う。母に参考文献と引用の仕方について明記するよう注意された。そのときの助言はとても役立っている。彼女も私同様、博士課程に行っており、当時は在野にて作文や小論文指導をする教師だった。母が作文する様子を見て、恐ろしく速いので圧倒されていた記憶がある。

 

「レポートを出しなさい」と言っている各教科の先生たちは、レポートとは何か、レポートはどう書くのか教えているのだろうか?疑問に思い、息子に聞くと、誰も教えてくれないよと返事が来た。クラスメイトもポカンとしているとのこと。やり方がわからない宿題が憂鬱になるのは当然だろう。

 

私は今日、息子に書き方を教えているので、きっと彼は将来までそれを使うことができると思う。しかし他の学生にそのようなことを助言できる保護者がいるとは限らない。こうやって、教育というのは恐ろしいくらい格差が生まれていくんだよなあと思う。クラスの中で息子のレポートを見て、ああこうやって書くんだ、書くとわかりやすいんだと参考にしてくれる同級生がいることや、それを教員が促してくれることを、ほんの少し期待する。

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