将来の夢

子供の頃、どんな夢を見ていましたか。

どんな大人になると思っていましたか?

 

私はこの間、授業で、「先生の授業を取ってから頭からワークショップが離れない、夢にまでみる。はまってしまった。」と言われました。彼は大学4年生後期でまだ単位が足りていないのでどうしても履修をしなければならないと抽選の際に申し出てきた男子学生です。いつも遅刻してくる学生ですが、大学生活の最後に、何か夢中になれる授業があったならそれは本当によかったと思っています。これまでにも、「4年の最後に**を受講して**先生に出会いそれからずっと大学生らしい講義を受けれたことを心より嬉しく思います。」とメールをもらったこともあり、私が大学に来たことで、何か誰かの役に立てているなら嬉しいと思います。

 

一方で、私は博士課程に入るまで、大学教員になるというイメージを持ったことが無かったのも確かです。博士課程進学は子供の頃から「きっとすること」という認識を持っていたのですが、将来の職業に「教員」は考えていませんでした。

 

私は、何かを交渉し新しいものをつくっていくということが好きでした。私が生まれてはじめて行った「プレゼン」は、近所のパン屋でした。火事で焼けてしまったパン工場がリニューアルすると聞いて、カフェを併設してほしいと絵を持っていきました。

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いつも、自分の環境を、境遇を変えたいときは、交渉してなんとかしていく。それは幼稚園のときからずっと私がしてきた習慣でした。小学校の校則手帳(多すぎて手帳だったのです!)は、80周年を機に大原則3つに減りました。校則減らせという嘆願をしてよかったと思いました。行動で意思表示をすれば、そして前例が無いところに小さくても事例をつくっていけば、物事は変わっていくのです。本の貸出冊数も変更されたり、入れない場所にも入っていいと許可が出たりしました。ちゃんと話せば、わかってもらえる方法があるので、それはパズルみたいなものです。そのためには、戦略を立てることと諦めないこと、そして相手を知ることが大事です。

 

私がはじめてのプレゼンを行ったパン屋は、今は地元の繁盛店です。そして、プレゼンのもとのアイディアになったカフェは、もう閉店してしまった目白にある老舗カフェでした。目白という街は、私を構成する大きな要素なんだと思います。

私の子供時代には友達と何をしたかという記憶があまりなく、恐縮なのですが、行った場所や考えたことは結構覚えています。私は本屋とカフェで育ちました。

 

 

私は、今週、知人の紹介でワインの大きなエキスポに参加しました。

jp.paris-bistro.com入り口で、業者しかこの時間帯の入場はだめだと言われたのですが、これからこんな事業をするのでどうしても入りたいんだと説得して業者枠で入りました。

切羽詰まると口から言葉が溢れてでてくるタイプです。こういうことは今までにも何度もありました。言ったことはやっていく。嘘にしないためには、ホラ吹きにならないためには、それを実現させればいいのです。今までいくつもの言葉を行動に変え、かたちにしてきたことでしょうか。まずは、言葉にすることなのです。

 

そう思って、今週、「将来の夢」について旧友に話してみました。

私は、子供時代〜高校まで思っていた「お店をやりたい」という夢を棄てていません。28歳で大学院に行ったのは、そっちの選択肢を先にやることにしただけなのです。私は23歳のときにやめた映画を撮ることを諦めていません。人生経験が足りないのでシナリオが薄っぺらいとS監督に言われたので、まずは面白い人生をやっていっています。私は、17歳のとき、飲食店をやってそこに自分や若手の映画作家の作品が上映できるような場所にしたいと思っていました。あんまり今も思っていることは変わっていません。原点を再確認できました。夢を叶えるための様々な構成要素も、少しずつ揃ってきていると思います。ここから10年は、目標をより明確にし、何が足りていないかを分析し、行動していきたいと思っています。

 

研究者がお店をやっても良いと思う。

相互に噛み合い刺激になる、そういう兼業が当たり前のことになる。

やりたいことは全部やろう。そう思っています。

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追伸:先日、「あなたはなんでも自分で決めてやっていく人だ」みたいなことを言われたのですが、自分の人生、自分で決めてやっていく以外ないと思うのです。わざわざ言われた意味が、まだわかりかねています。