言われた数字の診察室の扉を開け、私はすぐ閉めた。なぜならば知らない人が座っていると思ったからである。すかさず中から、入ってきてくださいと医師の声がする。知っている声だ、ああ合っていたのか。しかし前に座っても、一向に見覚えがなく、聞かれたことに答えつつも、知らない人と話す不安と闘っている。2週間前に会ったはずなのだが。
これが私の日常であり、私の見ている世界だ。私は「見知らぬ人」に囲まれ、しばしば不安になる。私はなかなか人の顔を覚えられない。それはちょっと度を越している。
- 一緒に住んでいても朝起きたとき、知らない顔だと思うことがある。
- 2週間出張したら、帰国したときこどもの顔が知らない顔だった。
- 待ち合わせで人を見つけるのは難しいので見つけてもらうか、仕草で判断する。
- しょっちゅうリセットされてしまうので、常に人見知りをしていて慣れるのに時間がかかる。
声の抑揚や匂いや仕草で記憶しているので、なんとかなっているのだが、視覚だけだと難しい。ちなみに視力は良い方だ。
こういったことが、自分に起きているが他人にはあまりないようだと知った。一方で、同様の課題を感じる人も、一定数居るらしい事も知った。相貌失認というらしいというのは1週間前に知った。
ーー
今日は息子と病院に行って、息子が薬を処方されたので、調剤薬局にも行った。薬局を一人でこなせるよう、練習してもらったのだが、彼が不安そうに言う。
「薬が10日分出ている。」
そうだねと言った。先週息子が薬を踏み潰してロスしてしまったことを医者に話した結果、予備として多めの日数分が出たのだが、それを私が伝える前に、彼はものすごい早口で何かを計算し始めた。
全ては再現できないが、彼が言っているのは、毎週10日分ずつ薬をもらった場合、薬が3日分ずつ余っていってしまい、結果としてうちがカプセルで埋まってしまうのではないかということだった。
彼は本当に心配そうにしているのだが、私はカプセルだらけになった家を想像して面白くなってしまって、しばらくその計算し続ける息子を見ていた。
そのうち、彼が「12×12は144で」と言って、だんだん計算方法を何種類も試し始めて、どうやら彼も関心がカプセルではなく、どのように算出するかに移行していることがわかった。私は彼の両肩を後ろから掴んで、「大丈夫、先生だって何錠だしているかわかっているし、それに、カプセルでうちが埋まる前に、そろそろ埋まりそうですって言えばいい。」と言った。
それから私は「144って好きなんだよね。良い数字だ。」と言ったら、息子が「そうだね。良いね。でも121も良いんだ。」と言ったので、そうだそうだと思った。
私は、「144は良い」と、小学生の時から思っていたんだけど、ずっと誰にも言ったことが無かった。だって、素数とか0とかみたいなのではないし、そもそも好きな数字があるという話を誰にするのかわからなかったから。
でも、今日、それを初めて言えて、すんなり受け止めてもらえたので、とても良い気分になった。息子は頼もしくて、待ち合わせではいつも私を見つけてくれるので、助かっている。
(この写真は、アーツ前橋で見た、薬のからを集めた「作品」。)