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過ぎ去りし

昨日今日いろいろあったんだけど、もはや日記を書くのが追いつかない。

私はマルチタスクで冷や冷やしていないと生きている心地がしないところがあって、それがうまく眠れないとかよくないあれこれを引き起こすのだけれど、トータルで言えば、休み期間と活動期間があるだけで、サイクルがある。

 

昨日は哲学プラクティス連絡会というのに参加して哲学とか哲学対話についてロジカルに話し、今日は美術館や美術やアートにおける掴みどころのないエネルギーに満ちた話を聞けて、古巣に還ったようにほっとした。

 

私はこういうのが好きで、だからこういうのから飛び出していったんだよねという自覚をした。私は好きなものが多い。

 

好きなものと一緒に居ることが必ずしも面白いことにはならなくて、好きだからこそ距離をとって良い感じでやっていこうというのがあって。しばらく頑張って他所でやっていくと、再度、ああ好きだったと、もっと温かい気持ちで思える。

 

そのようなことが、現状、哲学だったりアートだったり美術館だったりフランスだったり、etc. に対する私の気持ちである。昔の恋人のようでもあり、やはり昔の恋人というのは永遠に良いものである。

 

今日、シンポジウムでパネラーをしていたら、同じくパネラーの女性がさっき出逢った子供に展示室で「今、この瞬間は過ぎ去っていくんだ」と言われたと言っていて、ふーんと聴いていたら、「それはあなた(私の名前)の息子さんで」と言われて、吹き出しそうになった。あいつはそういうキザなことを、平気で女性に言うんだよなあ。なんでか知らないけど。

 

私は時間に興味がある。小学校のとき、自発的に初めてつくった立体作品は、時間をテーマにしたものだった。時間って不思議で、たまにコマ送りみたいに見えたり止まって感じたりもする。あと、好きな人と過ごすと、あっという間というのは、アインシュタインも言っているとおり。朝から夜まであっという間で、思わず笑ってしまったことがある。

 

私が美術館が好きだったのは、そこが私にとって居てもいい場所だったからで、しかもとてもスリリングな遊び場だったからだ。それがあるときから、日常になってしまうと、なんだかとっても居心地わるく思えて、少し距離を置いて、今、新しいところから舞い戻って、また遊びにきている。

 

昔話しているうちに、温まって、また「新しい過去」が生まれていくんだろう。

駆けて行くのよ、人生を。

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