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普通という幽霊

子供の頃って、「私の家」しか知らないから、それが当たり前だし普通だし、ど真ん中だと思っていました。

でも、幼稚園くらいでしょうか。「どうもうちはサザエさんちとは違うぞ」って思いました。でも、すぐに、サザエさんちはサザエさんちなので、まあいいか、とも思いました。私には兄弟がいないので、そこはお兄さんどっかから出てこないかなあと、ちょっと思ったのだけれど、なんだかわからないオトナ(両親の教え子)にたくさん囲まれて育ったので、そういうのもみんな、家族だと思って育ちました。

私の名前の草野球チームがあって、私の幼稚園の送り迎えは毎日違うお兄さんたちで、車がいつも違って楽しかったので、両親共働きでも面白かったと思うのです。さみしいこともあったんだと思うけれど、引き換えにはできないような、別の経験をしていて。人生の時間は有限なので、手に入らなかったものを数えても切りがないのです。

「普通の家に生まれたかった」というフレーズを何度も聞いたことがありますが、そんなことを今、私は少しも思わない。なぜならば、「普通」は幻想だと気がついたからです。

誰かにとっての普通というのは、その人が見ている、対象にしているセカイの中の「普通だってことにしたいなにか」なのだろうと思います。そんなものは実際にはないと思うのです。

それに、もし普通だったとして。それ、楽しいですか?普通って、どのくらい、「よい」んだろう。子供の頃を振り返ると、ちょっとした任侠モノに出てくる家みたいな感じがありました。親戚づきあいはしていないけれど、血縁ではないけれど、何かを一緒にやっていく拡張家族みたいな感覚がありました。自営業ってそういうところあるんですかね。

よその家のことはやっぱりわかりません。普通を探すのは、退屈だしやめようと思っています。
そして、私は、私の家を持っていくんだと思うんです。

 

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