「学習者中心主義」における学習者とは誰のことか

昨日は辛いことが沢山あって、どこからどう話していいやらわからない。

 

端的に言えば、私はこどもに対して自分が何を考えどのように生きているのかということを話しておきたいし、それを伝えるため普段何をしているかを見せたいと思う。しかし、私の母は、私のしていることを恐らく今でも根本的にはよく思っていないので、私がそれをこどもに伝えることを警戒する。そればかりか、私がこどもと "遊んでばかりいる" という風に理解をする。

 

確かに学校は、知識を習得するのに効率的で、よくできたシステムなので、それを活用できる現代は便利だと思う。できることならそのシステムをよく理解したうえで、こどもにはそれを活用してほしい。あくまでも、"自分がしたいことのために" 、だ。

もしくは、自分のしたいことがまだわからないのだとしたら、出来る限りbasicなものを選択し、そこでできるだけ汎用性のあるskill setsを手に入れてほしい。何かに特化した学習をするのは、何かしたいことができた時からでいい。

 

このような話を母としようとしても、母には理解ができないようだ。なぜならば彼女は長い長い長い間、受験勉強のための指導をする塾で働いていたし、今も大学受験のための模試の問題なんかをつくっており、そこでの古臭い教育観に縛られている。

 

私がとても幼かった時、母は少し変わったところのある人だったけれど、研究者として非常に興味深い学習観を持ち、私を大人と接っさせ、大学に連れていき、研究会に座らせていたり大学図書館で本を読ませてくれたり(これは特例だった)した。私にとっての目標は "大学に行くこと" で、それは幼稚園の時に決まったのだけれど、それは大学に行けば本がたくさんあることがわかったからだ。それまでの間、小学校と中学校と高校に行かなければならないことは、全ては大学という素晴らしい場所に行くため、仕方ないと割りきっていた。つまり、私にとっては、早く大学に行って好きなことをしたいという、そのための通過ゲームだった。これは学歴のために大学に行くという考えとは少し違う。私は小学校と中学校で不登校にはなっていない。(なぜ高校で行かなくなったかと言えば、高校は義務ではないし行かなくても大学には行けるようだということを中学で知って、定時制を選択したいと中学のとき懇願したのに受け容れられず、進学校に入ったので、やはり「したいこと」との間で揺れたということがある。大学に入ってからどのようなことを考えたかは、また別の話。)

 

私は一貫して、行きたい場所のためにしか努力できないようだ。しかしそれは多かれ少なかれ、他の人もそうなのではないか。きっと、私のこどもも。

 

しかし、母の研究者から塾講師への転職とそこでの長年の経験は、母を大きく変えてしまったように思う。だから、私は、母が何故研究を継続しなかったのかということを今でも残念に思う。もし研究を継続していたら、今のような非論理的で時代錯誤した思想は持たなかったのではないか。

 

兎に角、自分のこどもの頃のことを思い出すと気持ちが悪くなったり、不安になったりするのでいやなのだが、一方でその辛い気持ちが、私の自由を支えているようにも思う。誰になんと言われようと、どのように思われようと、私は私が学び続けられる環境を私の手で創りたい。それは、どのような環境かと言われれば、"Learner CenteredなCommunity"  なのだけれど、ここでのlearnerはcommunityの成員全てであるというのが重要で、つまり、そこにいる人はみなcreatorsであり(designersを敢えて避けた)centeredであるということだ。

 

"教授者中心から学習者中心というパラダイム・シフトがありました”、という風な説明の仕方をよく聞くのだが、私が考えているのはそういうことではない。誰もが中心であり誰もが周辺であるという関係と言えるか?兎に角、どっちが中心?という話をしだすと、それは闘争にしかならなくて、co-creation にはなりえないと思う。

 

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親がなんと言おうと、親が生きてきた時代と時代が全く違うし、必要なことは自分で考えていくしかない。人は経験から多くのことを学ぶことができる。私は、それがどんなに苦しい経験だったとしても、いろいろなことを考えさせてくれた母に、今は感謝している。

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