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しがらみと生きていく

先日、『孤独のススメ』(2013年、オランダ)という映画を観ました。

タイトルから想像のつく話ではありません。かなり最後まで、想定を裏切る展開なので、観る人は86分間、退屈することはないと思います。人生におけるかけがえのない存在とは何か、ということを考えました。4月から今までで劇場で15本の映画を見てきました。その中でこの映画はベスト1でした。

参考:2016年4月〜今日までの間に劇場で観た映画一覧


■『オマールの壁』(イスラエル
■『あやしい彼女』(日本)
■『太陽』(日本)
■ナショナル・シアター・ライブ『スカイライト』(イギリス)
■『ズートピア』(アメリカ)
■『ロブスター』(アイルランド・イギリス・フランス・ギリシャ・オランダ)
■『素敵なサプライズ:ブリュッセルの奇妙な代理店』(ベルギー)
■『海よりも深く』(日本)
■ナショナル・シアター・ライヴ『ハムレット』(イギリス)
■ナショナル・シアター・ライヴ『真夏の夜の夢』(イギリス)
■『教授のおかしな妄想殺人事件』(アメリカ)
■『二つ星の料理人』(アメリカ)
■『孤独のススメ』(オランダ)
■『マジカル・ガール』(スペイン)
■ナショナル・シアター・ライヴ『リア王』(イギリス)

 

映画というのは映画を離れて自分自身を照らすものであることも多く、ここ数ヶ月を振り返りながら書いていきたいと思います。

 

「孤独」と聞いたとき、みなさんはどのようなイメージを持ちますか?

 

1 人で居ていいなんて、そんな世界があるのなら! しかし、私たちは、少しも1人にしてもらえません。1人になれないからこそ、孤独があるのです。私たちは 1人では居られないのに、本質的には孤独です。私たちは1人で生まれて1人で死んでいきます。しかし、私の思考は私のものでしょうか?思考は状況に埋め込 まれています。自分のものでない気がしてくるときすらあります。そのような時、私たちは群衆の中で孤独を感じるでしょう。

 

私は、根源的には人間関係<しがらみ>が好きではありません。他人から社交的だと思われがちですが、そんなことは断じてありません。とっつきにくいという印象を持っている人がいると聞きましたが、それはある意味、良い線でしょう。しかし、私は人間関係<しがらみ>を持つことを受け容れています。受け容れることにより初めて、それは、自分の意志によって切り拓かねばならない世界となります。

 

私は映画が好きです。それは、映画が人と人がどのように関わるかをシーンで沢山見せてくれるからかもしれません。勿論、映画は架空の物語ですが、観る側がその物語に、ある種、感情移入ができないと、映画は映画として成立しませんので、奇想天外であればあるほど、設定の作りこみは重要視されています。想像もできないような多くの人の気持ちと言葉を、私たちは映画によって知ることができます。

(以降、少しストーリーのネタバレがあります。)

 

宗教の制約が厳しいオランダの小さな街を舞台に、突如現れた、しがらみと生きないテオという男性の登場により、妻に先立たれ1人で暮らす主人公フレッドの行動が、少しずつ変化していきます。交通事故で脳に損傷を受け、過去を忘れ制度を忘れ生きるテオの存在は、妖精のようです。

フレッドはテオを生涯愛すると誓い、教会で2人だけの結婚式を行うのですが、さらっと同性婚が出てくるあたり、オランダ映画素晴らしいなと思いました。これはLGBTの映画です、みたいな扱いにしなかった配給会社もよかったと思います。そういうことにしてしまうと、家族って何とか愛って何とか、そんなところが曖昧になってしまうと思うからです。

 

後半、どんどん、登場人物の過去が明らかになっていくのですが、その一つが、フレッドの息子の存在です。息子がドラッグクイーンとして、「This is My Life」を歌い、それをフレッドとテオの前妻が聴くシーンでは涙してしまいました。フレッドとテオの前妻の関係はおおらかで大変よく、同じ人、テオを愛する者同士はこれでいいんじゃないかという気持ちになりました。

 

愛することは、相手と自分との間にあるもので、それ以外のものを何も挟み込むものではありません。愛を世間や規則が引き裂こうとするという王道な展開(例:『ハムレット』『ロブスター』)、生活や世間体のために一緒に居られないと決意する家族(例:『海よりもまだ深く』『太陽』)、愛してしまったが故の利己的排他性による不幸(例『マジカル・ガール』)、愛の不在(『教授のおかしな妄想殺人事件』『スカイライト』)、いろいろなモチーフの映画を観ました。

そこで思ったのは、「欲」と「愛」は切り離されて考えるといいのに、近くにいるとそれが入り組んで難しいのかなということです。本来、愛の中には、独占するという要素は入っておらず、それは欲なのだと思いました。

 

本質的孤独を受け容れることで、初めて、自分の意志を実現しうる力、すなわち積極的自由(バーリン,1969)が手に入ると思います。孤独を受け容れ、積極的自由を手にした先にある「愛」と、孤独を埋めようとする「欲」は、区別されて考えられるのではと思いました。

 

この記事は鑑賞後にみつけました。

www.huffingtonpost.jp

news.aol.jp

ちなみに、なぜこの映画鑑賞が始まったかと言う経緯はこの辺です。

harinezumi.hatenablog.com

harinezumi.hatenablog.com