私はだあれ?

今日は、午後から仕事をして、夜に『ズートピア』という映画を観てきました。

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ディズニー映画ですが、決して子供だましではありません。私は、もともとは動物の描写に興味があったのですが、思いの外、社会風刺っぽいやつなんだなと思って見ていました。非常に政治的な内容でした。アメリカって大変なんだな。

簡単に言うと、あなたはうさぎ、私はきつね。そっから考えていきましょう。

そんな話です。(非常に相対的です)

 

ふとこの記事を、映画を観たあと思い出しました。

この記事に出てくる梶谷さんは、現在私の共同研究者の1人です。

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昨日から考えていたのは、私は何者かということなのですが、私が何なのか。

それは私が決めることじゃないなという感じで落ち着きました。

 

私は、相手が私を何だと思っているかによって、それを自分だと認識しているような気がします。私はしょっちゅう、自分が誰なのかを忘れるからです。

 

もともと私を「はりねずみ」だと言ったのは、大学時代の誰かです。そっかあと思ってそのまま、それを受け容れました。以来、私は、「はりねずみ」ということになっています。私がニックネームとして提案した「もぐら」より、トゲがあるので「はりねずみ」だという声があり、そういうことになっています。私は自分がトゲを持っているなんて思っていなかったし、今でもよくわかりませんが、他人がそういうならそうなんでしょう。

 

そもそも私を「玲奈」と言ったのは、私の母です。私は生まれたときは名前が無かったはずです。いや、寧ろ、別な名前で呼ばれていたという話もあります。父は私が男の子だと思っていて、父も含め周囲中で、お腹の中にいる私に、別な男児名を名づけていたそうです。そのため、そこから愛称として「むー」というのが出てきて、私は未だ、「むー」「むむお」と呼ばれることがあります。私は周囲の期待を裏切って女の子だったので、急遽母が「玲奈」を用意したらしいです。

 

私は自分の息子に、その、陽の目を見なかった名前をつけました。そんなこんなで、先日、混乱したのは、父が私と私の息子を呼ぶとき、どっちも「むー」になるという現象です。こういうことがあると、結局、私が「むー」なのか、それとも私たちは「むー」なのか、ということになってくる。

 

名前なんてそんなものです。

 

もし私がある日、「あなたには名前がないです」と言われても、私はちっとも驚かないです。ということで、名前を探すという旅をしても、無意味なんだという気がしました。そう、それは自分探しをするのと同じくらい、無意味なんだと思いました。