NTL『スカイライト』

『スカイライト』という演劇が映像になったものを映画館で観た。

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Skylight Production Images - National Theatre Live

Skylight - National Theatre Live

 

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まず、ナショナル・シアター・ライヴはすごい試みなんだと思った。

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通常1劇場700人で観ているものを、何十万人で楽しむことができる、みたいなナレーションが入っていたけれど、そんな問題ではない。

消え物が消えないものになっているという時点で、恐ろしいことである。

演劇ではなく、カット割りが細かく設定されているので、これは映画なんだと私は思った。

 

映画にしてはひたすら長い。通常、映画は尺が決まっており、それはかつてのフィルムに準じるている。しかし、今回は劇をそのまま映画にしているので、休憩20分、とかもそのままになっている。そこも面白い。

 

しかし、芝居を映画で見るのはかなりしんどさがある。なぜならば、この時、もう少し別の部分見てたいのに、というところで、どーんとズームが来る等、演出にうっとなることがあるのだ。

この経験を通じて、演劇と映画の違いを実感することになった。

 

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さて、本題であるが、登場人物は3名。メインは2名。

(ネタバレあり)

未練がましい中年男性がひたすらかつての不倫相手である若い女性に弁明し、復縁を願うというもので、みっともないにも程がある。

しかも女性は一度は彼を受け容れてしまうので、何をやっているんだかさっぱりわからない。

 

さっぱりわからない状況なのに、それをなんとも魅力的に見せてしまうのが、台詞のちからである。

恐ろしいほど沢山の愛の言葉が、両者から語られる。時にハイテンション、時に罵り合い、感情をぶつけあう。たった数時間、1晩の出来事の中で、よくもまあこんなに喋るなというくらい、喋る。

 

私が混乱したのは、全く不条理な設定なのに、どうしてこうも、言葉は美しく、時に悲しいものなのかということである。ものすごく沢山の言葉を聞いて、それをそのまま胸にしまって帰ってきたので、自分の中で整理がつかない。それくらい、沢山、愛が語られていた。

 

一般的に、不倫はよくないと言われているし、このドラマでもバレてしまったので別れざるを得なくなった2人が描かれている。彼女の言い分では、バレなければ続けていきたいという気持ちがあった。一方、男は危機管理が甘く、結果2人の関係は妻の知るところとなったようだ。

 

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ラスト、言葉を重ねていた時間と対照的に、言葉少ない第3の登場人物がヒロインの前に現れる。彼は、行動で彼女に好意を表現する。

あんなことされたら、抱きしめたくなるよなって思うし、あんなことできるのは愛しているってことなんだと思う。彼も彼女も愛しているなんて一言も言わないんだけれど、もう全てが始まっていることがよくわかる。

素晴らしいラストシーンである。私はちょっと涙が出た。

 

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この映画から考えたのは、以下のようなことになる。

【1】終わったものは終わったんだということ

【2】時に恋愛において言葉は無力であること

【3】しかし恋愛において言葉は美しいということ

【4】言葉よりも大事なことが時にはあるかもしれない(これは仮説)

 

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 脚本を読みたくなったので買うことにする。