サイエンス・コミュニケーション

私は研究者だという自覚はあるが、自分を科学者だと思ってはいないので(人文科学という言葉はあると思うし、研究の手続きには科学的なところがあるとはわかっているけれど)、「サイエンス・コミュニケーション」に関する講義を持つことや、論文を投稿することを数年前までは考えてこなかった。

一方で、北大のCoSTEPの公募だけは、タイミングが良かったら出したいと思っていたものの1つで、それはサイエンスコミュニケーター養成という人材育成の中でなら、きっと私ができる仕事もあると感じられたからなのだけれど。全くちょうどよくなかったので出すことは無かったが、そういう進路も考えていた時期がある。

 

今、そういう進路を考えなくなったのは、「サイエンス・コミュニケーション」に科学者ではない私がどう関われるのか、疑問があるからである。

 

しかしながらきっかけがある某大学で講義を持つことになった。そのため、私の持つ懸念をはっきり伝えたうえで、私は生涯学習・教育研究者として、コミュニケーションをするための学習環境、すなわち、空間・活動・共同体・人工物のデザインを教えるというスタンスで、講義に臨んでいる。

これでいいのか不安だったので、来年度は某大学の講義を持つのは断ろうと思っていたのだが、それでいいですと言われたので来年も引き続き担当することになるようだ。

 

クラスにいる学生の行っている研究テーマは、私にはタイトルだけではちんぷんかんぷんだ。さらに、私が講義する内容ややっている研究もまた、彼らには何ら興味のないことだと想定される。

 

つまり、講義そのものが、サイエンス・コミュニケーション実践のような気がしてしまう。

学生は自分の研究テーマや自分の研究領域を紹介する何らかのプログラム原案を作成するという課題を行うのだが(原案レベルでいい、しかしできるだけ具体的であることも評価される)、さて、この課題でよかったのだろうか。

 

来週は、昨日最新で聞いてきた、オープンサイエンスの話も授業で触れたいと思う。本当は今日入れようと思ったが、自分の中で調べと咀嚼が甘いと思い見送った。

 

講義を創るというのは日々、自身がバージョンアップしていくことに外ならない。