再会

本当に偶然なのだけれど、私が応募した研究の領域アドバイザーの1人に、私が以前ジャカルタまで見に行ったワークショップをOrganizeしてい た先生がいらした。ジャカルタで見た彼女は白いTシャツを来て日焼けしていて、2年後の今日、面接会場で私は同じ人だと最初気づかなかった。「あなたが ワークショップに関してよくわかっているのは知っているから」と質疑のとき言われ、さて、なぜそんなことを言われたのかと思って、記憶にある声を辿り、あ あそうかと思い出した。不思議な御縁での再会である。亜熱帯のバラックで、研究関心や考えていることをお話できる時間をいただけたことも思い出した。私の 中には、この数年で確実に、<かっこいい女性研究者像>がたくさんたまってきている。そういう方に多く出会いお話できていることは私の財産だ。

 

2013年は、私が高齢者の学習について研究を始めた年である。その頃の私は、これからの人生において「とぶ(飛ぶ・跳ぶ)」をテーマにしたいと考えていた。(<はりねずみ>が、<ももんが>になることを決意した年である)

 

私が見てきたのは、チキ二というスラム街の、焼けた家の跡地に図書館をつくるというプロジェクトで、その日は落成記念のワークショップだった。そのプロジェクトの話を聞いたら居てもたってもいられなくなって、つてを辿って渡航した。ワークショップというか、なんというかもうそれはお祭りで、通りは人で ごった返し、若者が踊っていた。みんなが、図書館ができることをとても喜んでいた。子供が多く施設や人が追いつかず彼らの小学校が二部制で、スラムでも通 信教育を受けさせて立身出世を目指しているという話が印象的だった。子どもたちが勢い良く、会場になだれ込んでくるのだ。当時興奮して写真をデザイナーさ んに送ったことをよく覚えている。その写真は、現在の私のHPのトップページにも使われている。

 

このワークショップのことを教えてくれたのは大学院生である。当時ジャカルタに留学していた神谷くんには感謝の気持ちが強い。神 谷くんにも感謝しているが、そもそもは近藤祐子さんがTwitterで私に話しかけてきて研究の話を聞いたことがきっかけで村松研究室と出会い、祇園祭の 調査に同行し、地球研に行き、さらに田口純子さんに出会い、ぼくまちというプロジェクトに同行するようになり、そこから梶谷先生ともつながることになった という一連の流れ全てに感謝している。