多動だろうということ

じっとしているのが苦手です。あまりそういう自覚がなかったのですが、「視線に落ち着きのなさが見られます」と先日、消化器科・内科で言われ、えっ?と思って親しい人に聞いてみたところ、そりゃそうだという返答でした。よく知っている人がそう言うのだから、私はきっと多動なのでしょう。もっとも、初めていった病院だったので、医師は初対面だったし、部屋の中には見たことのない機材や器具があるので、キョロキョロしないでいるのも難しいと思うのですが。

 

私は、相当短気でもあるようです。また、少々飽きっぽいかもしれません。授業中も教室の中をあちこち歩き回っています。スライドを見せていても立ったり座ったりします。そうするといろんな人の顔が見えるので、面白いし、話もできてお互いいいかとも思うのだけれど。

 

今日も晴れたので大学に来ていますが、どこに行こうかなあと思って、いつもと違う大学に来ています。行く場所の数だけ自分のPCと机がある生活、とても幸せです。

 

「センセイの居場所もカレンダーで共有しましょう、と言われたけれど、そんなことをしたら干上がってしまうから。」という某氏の意見に共感します。

私も、どこで仕事をしているかあまり他人に知られたくないし、詮索されたくないです。そういうのを開示しないといけない仕事の人は大変そうだなあと思います。どんな隙間で密談するんだろう。

 

私は、結局辻褄が合えばそれでいいだろうと思っています、私はあまり一日に沢山働くことができなくて、気が向かないときには何も進みません。だから、時間数や拘束場所で考えられてしまうと、ちょっときついのです。そんなことも言ってられなくなるのかなあ、大人は大変だからなあと思いつつ、なんとかなってきました。これからも、そんな感じで人生をやり過ごしていきたい。

 

やる気がないのではないと思うのです。ただ、何にやる気があるのか自分でもわからないです。こんな自分はひどく嫌なのですが、私のスケジュール帳は、1ヶ月先まで細かく予定でいっぱいです。何か入れるためには何かをパズルのようにずらします。予定を立てるのが苦手なのに、予定を立ててしまう。すなわち、立ててしまうというところに、<予定立てるの下手感>が顕著です。ちょっと空いていると、きちきちに移動計画を立ててしまう。そういう癖があります。だから最近では、<休憩>とか、<余白>とかも予定表の中に入れます。だから、忙しいのか忙しくないのかよくわかりません。でも、大抵<余白>は、前の何かが延びたり、忘れ物をしたり、電車を逆走したりすることによって、まんまと潰れます。

 

この生活スタイルは、中学の時には既にそうでした。1限と2限の間の休憩で職員室に行くとか、3限が移動教室だから図書室によって本をさくっと見るとか、昼休みは理科準備室で溜まった疑問を解決するとか。私は、分刻みで移動していたので階段で人とすれ違っても、顔も見ていないような人でした。

小学校の頃のことは、もっと分刻みだったのでよく覚えていません。20分休みになったら図書室に行くことを繰り返していたので、休み時間の前はできるだけ早く扉から出られるように準備をしていました。

 

はっきり思うのは、前より<まし>になってきたような気がすることです。こんな私でも、少しずつ生きるのがうまくなってきた気がするのです。スケジュール調整の熟達です。果たして、そんなことでいいのでしょうか!