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過ぎ去る

台風は、あっけなく私を置いて、過ぎていった。

そして消えていった。

 

「大学」は、これから来るかもしれない風雨を懸念し「休講」を決定した。

朝6時に1・2限、朝10時に6限までが中止となった。

スケジュールが倒れるなあと思いつつ、不意の休みを片付けをして過ごした。

正直、新しい職場での仕事が本格化して3週目、慣れたこともあるが、知るゆえの課題もある。加えて、前職場に週末は行き調査を継続していることもありかなり疲れていた。何より、疲れると外で過ごし、結果として自宅の管理がおろそかになっており、それがまた少しずつ心労になっていた。

 

そんなこともあって、晴れた午後も1日家に居ることにした。半年目処で引っ越しをしなくてはならなくなりそうで、迷ったら棄てていかなければならない。それにしても、私のところに送られてくる宅急便と郵便の量はとてつもない。不要になった梱包材を破棄する。

 

先週、祖母が倒れたそうだが、親戚と私はうまくいかないので病院には行かなかった。

一命を取留めたようで、後遺症も残らないようだ。祖母の余命が延びたことを、私はよかったと言うべきなのだろうか。母はこの数年、住み込みで祖母の介護をしている。そんな母ともそして祖母とも、もう何年も会っていない気がする。

 

祖母のつくってくれた料理、いくつかは、昔食べた記憶を頼りに、自分もつくる。それらのレシピを聞き出す前に、彼女はそれを忘れてしまった。彼女は祖父が他界してから、1人暮らししている家の中で転んだ。足を骨折し、治ってはまた骨折し。旅行にも伊勢丹にも行かなくなった。彼女は、その後、認知症になった。

私は彼女を覚えているけれど、彼女からは様々なことが消えている。人の記憶とは不思議なものだ。

 

私は自分の関心の赴くまま大学に居るわけだが、一方で、多くの人に面倒をかけている。それについて、数年前までは何か申し訳ないような気持ちがあった。しかし、最近では、自分のできそうなことをしていくことでしか、生きて行くことはできないんだというあきらめのようなものがある。

 

私は進路を選んできたなどという、大層なことは言えない。ただ、できることをできるとき、できる分だけしていく中で、結果として今此処にいさせてもらえている。

 

できることならば、目の前にある全てのものに関わり、それを受けとめ、愛したい。憎や嫌は己も他も、誰のことも幸せにしない。哀しい気持ちになる。

しかし、私はとても小さい生き物であるから、迷い、疑い、時に怒る。そして悲しむ。残念な話である。

 

小さな良い事を探して。嵐の過ぎた澄み切った空。