その橋はどうできたのか。

先日、川と向き合う機会があった。文字通り、本当の川だ。

夜の川は、いくら見ていても飽きない気がした。しかし、対岸に渡りたいという欲求は私には湧かなかった。対岸を、川越しに見ていることに満足していた。

 

そこに架かっている橋は大きくて長く、私にはすこぶる怖かった。橋が架かっている、ということそのものが恐ろしく思えた。私はとても臆病なので、一人で大きな橋を渡ることはできそうにない。見下ろすと、黒く広い水が広がっていた。

 

誰かと誰かがつながる。よくモデル図を描く際、二者間を実線をつなぐ。しかし、そこに線があるということは、すごいことな気がしてきた。

 

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今日も今日とて充実していた。中には気の重いものもあったのだが、終わってみれば大変良い機会だった。

 

デザイナーさんとの打ち合わせにそのまま居て良いと言われ、甘えて居させてもらった。副産物として、自分の職場でどのようなことが行われているのかを知ることができた。これから自分が働くかもしれない、他のどこかの大学で、いや、大学でないかもしれないが、きっと今日聞いたやり取りは、エピソードとして10倍以上になって自分に残る気がする。

 

私はもっと外に出た方がいいし、いろんな人の会話を聞くべきだと思う。自分が話すのではなくて、だ。書く量を増やしていくのがいいかもしれない。

 

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夕方からは新しいテーマについて学ぶため、聖路加看護大学の中山研究室・研究会に参加させていただいた。看護情報という知らないことだらけの研究会だったけれど、すっと入ってくることが多かった。気づいたらものすごい量の検索をしメモをしていた。

 

領域は異なるとはいえ、そこには、主体的な情報取得行動とその支援に関心ある人が集まっているようだ。だから、まんざら自分のやってきた「学習環境デザイン」や「ワークショップ」とも、世界観が遠くもないのだろうと思う。

 

しかし、その研究会に「参加」というかたちでアクセスするまでには、いくつかの偶然が重なっている。1パスでは行けなかったということだ。私は、人が人との関わりの中で何かにアクセスしていくという、自発的な学習の軌跡に関心があるようだ。どうやら最近は、そういうことかもしれない。

 

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大学時代に好きだった作品に、川俣正のインスタレーションがある。橋を架けるという経験。大学の頃、なぜこれができるんだろうと憧れていた。川俣正インタビュー「解体する作品、構築する経験」

 

川に橋を架ける、それは、到底一人ではできない。

work in progress.