大学、ゼミの思い出

大学時代、どのような大学教育を受けたか。ということについて、考える機会があった。そういう課題を出されたから必然的に考えたのだが、それは思ったより私にしんどいことだった。

いろいろ解釈し、腑に落ちたので書き留めておこうと思う。大学に行くということにもっときちんと向き合っていればよかった。大学院に入ってから、よくそう思う。

 

大学教育で印象に残っているのは、実は、卒論指導を受けた「ゼミ」のことだけだ。

 

私は2年次に選んだ西洋美術史のゼミから、3年次には視覚メディア論を指導できる先生のゼミに移籍した。彼女の名は千野香織先生と言い、日本美術史とメディア論を反復している人だった。そのため、古典的な日本美術だけでなく現代美術やアートに関わる運動などに関心のある学生も指導学生として受け容れしていた。

 

私は、自分を途中から受け容れ指導してくれたその先生に、とても感謝している。

千野ゼミの所属者は結束が堅く、今でもまだ付き合いがある。彼女は多彩なテーマを臨機応変に指導し、学生の関心・動機に寄り添う人だった。自身もバイタリティ溢れる研究活動をしており大変魅力的だった。

 

毎週個別に課題を出し、卒論が書けるようにしてくれただけでなく、進路について相談にも乗ってくれた。今思えば当たり前のことなのかもしれないが。私は、度量の広く博識で大胆なその人を、たまに面倒だとも思っていたけれど。

もしかすると、私の大学教育体験とは、大学に通ったのではなくゼミの先生の部屋に通った、という認識にすり替わっていたのかもしれない。

 

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しかしながら、ゼミの先生は、私が卒業した年に他界してしまった。私にとって、ゼミ恩師の死は、乗り越えなければならない辛い記憶だった。だから、大学教育経験そのものが、私の中では咀嚼されないまま、放置された記憶になっていた。

 

いつか自分が、もし大学の学部ゼミを持つことがあるなら、きっと彼女のことを思い出すのだろう。こういうのを、ロールモデル、というのだろうか。

 

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時が経ち。

私には、また別の出会いがあり、とある大学院に進学した。

「研究室」に所属することになった。そこで、研究室の恩師、という人ができたことになる。

そして大学院教育というものに触れることになる。大学院での教育を経て、再び、就職して大学教育の現場に紛れ込んでいるというのが現在の自分だろうか。

 

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ゼミの恩師は早々に他界してしまい、お喋りすることができない。

研究室の恩師は健康で、今も一緒に仕事ができる。幸いである。