広報におけるcraftsmanship 

仕事がら、広報の仕方について考えることは多い。

 

 

私は情報学環・福武ホールというところで働いており、そこでは様々なイベントが開催されている。中には自分が企画や運営にコミットするものもある。

自分がコミットするものだけを広報していても、あまり互恵的な関係ではないと考えているので、私は自分が関心を持った情報は共有することを心がけている。共有の手段として、SNSの中では、私はtwitterとG+を使っている。あとは案外、目的に応じたMLも有効だと感じる。

 

twitterでは、情報を主体につながる感じであり、伝播経路も含めて楽しんでいる。

G+では、少し短いリード文や意見を書くこともある。まだG+にはアクティブユーザーも多くない感じもあるので使っていてどのくらいそれが広報的な意味を持つのか、価値としては判断しにくい。しかしながら、それは数年前のtwitterでも感じたことなので、淡々とG+も使っている。こういうものは、みんなが使い始めてから使うのでは面白くないと思ってしまうのが、私の性分である。

 

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さて、本題。

 

広報ツールとしてあなたのツイートは本当に機能していると思いますか?

その情報は、伝えたい人の心の中に、きちんと届いていますか。

その情報は、そもそもどんな情報ですか。あなたはそれについて何をわかっていますか。

 

昨今、公式RTによってどんどん情報は拡散されていく。公式RT数が増えるとイベントの集客が上がるというものでもないというのは、私の実感である。特に、ある山を越えて、もうtwitterでは、RTだけで測り得ないことが増えてきた気がする。

人の認知できる情報量は限られている。だったら目にする頻度ではなく、目にする形式が違う方が、気になるものになるのではないだろうか。

 

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今日このブログを書くきっかけになったのは、大学院時代からの友人が書いていた、このツイート。

@IshihataAi: ツイッターでこどもkichiのこともシェア大学のこともけっこう宣伝してるつもりになってたけど、やっぱり情報がどんどん流れていってしまうので、見てほしい人にはメールとかで個人的にお知らせを送らないとダメだな。手抜きはいかん。

 

そうだ。私たちはそれを知っていた。だから手を抜くのは痛いってこと、お互いわかっている。丁寧な仕事をしないと。そこで、ほんとに差がつくね、って思った。自戒をこめて、だ。友人に感謝。

 

手で足で稼ぐことの大事さを、口コミの強さを、一本釣りの良さを。

広報とは、どこまでデザインできるのか。広報デザインには、何ができるのか。

今日は、広報におけるcraftsmanship について、少し考えた。

 

いくつか関連する以前のツイート(自分や周りの人)などもまとめようかと思ったのだが、過去のことはどんどん、消化していってしまいたいと思うので、気が向いたら、ということにする。

 今日は、そういう問題提起を、自分にしておくということで、ブログを書きやめる。