辛かった、と言えるだけで
成長だしトンネルは抜けている感がある。
辛かった、と言えるだけで
成長だしトンネルは抜けている感がある。
憂鬱なのはきっと、冬のせい。
暖かくなりますように。
生きていくのは難しくない。
ただ、漠然と焦る。
大事なものはずっと大事、変わらない。
誰かが風邪を引き続け、1年ぶりのカラオケ。
『凪のお暇』の主題歌「リブート」から始めて終わって。
2019年も送ったなあと思う。歌ったのは下のラインナップ。
リブート(miwa/2019)
友よ(関ジャニ∞/2019)
馬と鹿(米津玄師/2019)
ノンフィクション(平井堅/2017)
道(宇多田ヒカル/2016)
ステップアップLOVE(DAOKO, 岡村靖幸/2017)
Lemon(米津玄師/2018)
ロマンスがありあまる(ゲスの極み乙女。/2015)
リブート(miwa/2019)
ちなみにOfficial髭男dism「Pretender」は綺麗な韻を踏んでいると思うけれど、歌詞がナヨナヨして感じて共感できないのは私だけ?
今年最初に買ったのはMrs. GREEN APPLEのロマンチシズム、miletのUS。
「年賀状のやりとりはお断りしています。」
「年賀状撲滅」
出すことも許されないのか…
受け取った人は処理に困るし返信を催促された感じになるのか…
年賀状を出すことに関して、実は私、小学生の頃からもやもやしている。
子供の頃、冬休み終わったらすぐ会う人になんで年賀状書くんだろと思っていた。時が経つにつれ、だんだん、「かつてお世話になった人」「すぐには会わない人」「ある時期はよく会ったけれどもう人生で会うことはないのかもしれないなと思う人」とか、出てくるんだなと思った。
人間関係っていうのは、今よく会う人だけに絞ってしまうとすごく薄っぺらいものになってしまうし、ともすれば近視眼的な思考にもつながるのではないかと思う。
もちろん、年賀状にこだわる必要はない。
年賀状が廃れゆくなら何ならできるのか。
意識して人間関係を縮小しすぎない方法を考える必要がある。
年賀状以外でも手紙って書かなくなった。仕事柄、郵便切手はよく使うがほとんどが書類のやりとりだ。
高校の同級生がこんなブログを書いていたので、別の観点だったけれどもやもやする人もいるのだと思う。
細かく、自分視点で年賀状問題の課題を考えてみた。
■そもそも住所がわからない
小学校のときは私立だったので同級生名簿みたいなので年賀状を書いた記憶がある。中学からはそれが無かったような。お別れの際に住所リストを作ったけれど今は個人情報の問題もあり、個人宅の住所を交換しないことも多いような。今はSNSの交換で代替されているんだろうか。
■自分のことを知らせたいだけなのに相手への返信のプレッシャーになる?
それでも他人がどう生きていようと知らない(知り尽くせない)というスタンスもある。人間関係が拡張していくと、あのときの誰それがどこでどうなって、とか追いきれない。
■ブログやSNSで近況発信しているので紙で出すモチベーションが保てない。
SNSも年賀状も、綺麗でポジティブなことを書かないとみたいな空気があるのは少しめんどくさい。ちなみにSNSってコメントあるときラリーしてます?
■毎年年賀状のデザインを考えるのは楽しかったが、結局ゴミ箱行きになるのかと思うと…
紙モノのデザインが好きな私にとっては毎年楽しい作業でもあったけれど、保存する人ばかりではないよね。自分も含め、そこは仕方ないところがある。
■自筆に自信がない
案外これで筆不精になる人もいるのでは。
結局答えは出ていないのだけれど、年賀状というコミュニケーションは、嫌な人はやめて、やりたい人は続けるというので問題ないと思う。
旧年中は、大変お世話になりました。ありがとうございました。おかげさまで、私は帝京大学に勤めて6年目となりました。悩みながらも充実した毎日を過ごしています。現在は、成人のライフキャリアと学習支援に関心を持ち、実践や調査を行っています。自身は42歳、息子は高校生となりました。様々な変化を感じつつも、この先も軸とすべきことを今一度見つめ直して参りたいと思います。その手始めとしてホームページ「はりねずみの道具箱」をリニューアル中です(リロードすると写真がいろいろと変わります)。ご覧いただければ幸いです。
皆様のご健康とご多幸を心よりお祈りいたします。