無理矢理なんとかする

内面と、外からの評価が釣り合ったと感じることがない。

 

だいたい、思った以上にうまくいくし、思ったとおりにうまくいく。

 

やっていく、みたいな押し切りが高すぎて、いろいろメンタルにも来る。

評価されない方が、ひっそりとやれてよいみたいな話と、評価されたらやりたいことやれて楽みたいなのとの狭間にいる。

 

ただ、有り難いことに、その加減を選べる。

こんなになんとか、無理矢理生きているのになと思う。

ただ、とりあえず仕事はやれる。日常は努力しないとすぐ破綻する。

忙しない性分

基本的に、予定を詰め込みすぎる傾向にある。

朝から夜まで、ダラダラしていた、特にやることもやりたいことも無かった学生時代がたまに懐かしい。

 

隙間を見つけて何かしてしまう。

高速に乗らないと間に合わない、タクシーの中で休むスケジュールを組むべきではない。

 

言葉が足りない

基本的に、憂鬱なタイミングで書いているのがブログ、だとすれば、ブログなんてもうやめてしまったほうがよいのかもと思う。

 

いつも、張り切ってしまうけれど、それでも足りなかったと思う。

もうちょっと話したいことがあった。自分の中にあるめんどくさいこと、話したいと思ってもうまくいかない。

 

なぜかというと、話したいことに言葉は無力だからだ。

 

言葉に変換できることには限りがある。

しかし、言葉にしたがる。約束をしたがる。共有した気になりたい。

 

言葉にしなくても、認識は人の中にあり、自分がわかった時点で完結しているはずなのに。それでも、姿が見えなくなると、途端に縋りたくなる。言葉に、ものに、何らかの形に。

 

 

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腹痛、口唇ヘルペス、頭痛と一気に来て、

どれだけ自分が気を張っていたかわかったので、もっとしれっと、ふわっと、人と関われるといいのにと思う(大事な人ほど緊張する。何日も前から)。多分無理だけど。

 

どれだけ頑張ってるか、は、多分伝わっていて。頑張ってるなあとか、頑張らなくていいよと言っても無駄なんだろうなとか、思われてるかもしれない。

 

今日は、空振り感というか、空虚というか、何にもうまく行かなそうなので、一日中、部屋から出ない日にする。

絶望ではないけれど、疲れている。

疲れるとキッチンが荒れる。買い物がめんどう。わかりやすい。

 

 

帰国&自炊

イタリアから帰国。

こんなスケジュールにはしたくなかったのだが、東京での学事日程、訪問先の都合と兼ね合わせるとこうなった。間に暇があり、最後どたばただった。毎日7時スタート、深夜まで。

 

とはいえ、体調を大きく崩すことなく(喉は弱点なのでずっと空咳があるが)過ごせたのは、ところどころの自炊、外食なし、のスケジュールの賜物である。

キッチンを使うとほっとするし、外食は金銭的にもストレスになる。

 

食道楽は何も、レストランめぐりではないのだ。

加えて、海外では好きな分量が出てくるとは限らない。味付けも分からない。

楽しみもあるが、どうしても、予期できないものは疲れも引き起こす。

 

対して、食材と向き合って自分の欲しいものを目指していくことは、精神の安定につながる。

 

他にも旅のティップス、いや、暮らしの技術について思うことがある。ただ、だんだん、はてなBlogに書くのもなあみたいな気になっている。一応これは匿名ということになっているし。

 

そろそろ重い腰をあげ、これまで十数箇国見てきた学びの現場と食の現場、そして、なぜこんなことをしているのかという想いをつらつらと、実名でnoteなんかもありかなと思っている。今回の視察先で感じたことは、まずはショートエッセイで多くの方に届けたいから。

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Instagram post by Reina MORI • Apr 3, 2019 at 8:20am UTC

休日かつ予定なし

今日は暇、だんだん慣れてきた。イタリアで買っておきたい日用品は全て今日買えた。

ベネチアに行って、安いプラスチックではない、クラシックな手工業のマスク屋さんを見た。私は紙ではなくメタルフレームのマスクを買った。何かのイベントでさらっと使いたい。広場は観光がすごくてあまり風情が無かった。ブランドショップが沢山ありびっくりした。

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