うまい秋刀魚

「美味い店の秋刀魚は美味いけど、実家の秋刀魚は美味くなかった。」なんて言われると、秋刀魚料理のハードルは上がってしまう。

 

私は、秋刀魚の塩焼きを、実家で食べた記憶がない。鯖の塩焼きも。どちらも大学生の時に定食屋で食べて、こんな美味しいものがあるのかと思った。

覚えていないだけなのかなあ。

 

私の実家では、いろいろとオーソドックスな家庭料理が出なくて、なんだか創作料理がたくさん出ていた。お洒落な料理は多かったが、本当に、印象に残る実家の味、が少ない。美味しかったとは思うのだが。器用な母だったのだろう。

私は消えていく日常を思い出せるよう、記録しているのかもしれない。

 

さて、焼き魚をやろうか、いま惹かれる秋刀魚ご飯をやろうか。

家では難しいのかなあ。

 

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業務とはなにか

なにかできそうなことはないか、観察し整理し、課題を発見し、目的を設定し方法を検討する。つまり研究のプロセスを仕事に活かせるかどうか。

仕事は与えられるものではなく、創るものだと思います。

既読スルーとスタンプ

少し難しいものを書いている(難しいことを考えている)ので、終わるまで集中したい。

 

そんな時でも電話は鳴るは、メッセンジャーは来るは、となる。

授業日は難しいことを考えにくいので、無い祝日はチャンス。

さて。既読がつけば終わり、ではなく最後にスタンプを押す(押される)文化をなんとかしたい。まあ、スタンプを押したら切り上げたいっていう意志表示かもだから便利か。

返信を書かなきゃっていう強迫観念はどこから来るんだろう。お互いに。

 

相手によるか。

いつまででも話していたい相手(あるいは内容)も居る(ある)

勝手な話である。

https://www.instagram.com/p/Bon48C8hVHM/

 

「友達」の外への独り言

ずっともやっていたことの外側で、ふと思ったこと。

 

なんでSNSの設定って、「自分だけ」とか「友達に」「友達の友達に」「フォロワーに(鍵)」とか、いわゆる内から外へみたいな構造なんだろう。

「『友達』以外に公開」みたいな設定があってもいいんじゃないかと。

リアルな世界だと、夫には知られたくないけど、とか、会社には知られたくないけど、とか、学校では知られたくないけど、とかがあるわけでしょう。(私にそういうのがあると言っているわけではありませんよ。一般論です。)

 

だとすると、(対面の人間関係ある人はオールブロックな!)っていうSNSの設定とかも、ニーズとしてはあるんじゃないのかと。今だと、そういうのって設定ではなくて自分でせっせとやっていかないとできないわけだけど。でも、ひっそり思っている人、いるんじゃないかな。

 

例えば、知り合いのものだと思わないで売り買いするから、メルカリとか楽なんじゃないかなと思ったんですよね。知り合いならオファー(値切り)とかもしにくいし、状態に評価、とかも難しい。先日、オフ会でフリマ、という話を見たのだけれど、ちょっと対面関係がある中でのフリマって、一回誰かが回収して販売する保育園バザーみたいなのとは違う面倒さって無いのかしら。

他人と他人だからやれていることって、たくさんある気がしていて。でも、SNSだとドーナッツ状にしかなっていかない関係を志向してるの?って思う時がある。Instaはコンテンツベースで動くと言ったって、所詮、一般人にとってのそれは、核は対面関係なんじゃないのかしら。

 

別垢っていうのが少し近いのかもしれないけれど、もっともっと明確に、知り合い以外に発信したい、知り合い以外とだけ繋がりたいのでよろしくね、みたいな(それこそオフで会ったらそれでそのメディアでないものに移行)っていうようなものってどうなだろう。詐欺とか犯罪の温床になるとか思われてしまうのかしら。

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