高校について、今更わかったこと。

高校について語れることがほとんどない。

これが今まで私が思っていたことだ。

 

私は高校生活をきちんと送っていなかった。

よくわからないハコに押し込められているという気持ち、大学受験というリミット、やたら多くなったクラス数、長くなった通学時間。そういったものに、ひたすら、だるさを感じていた。それでも自分を、高校につなぎとめていたのが部活だったのだけれど、実は、私は中学は吹奏楽部だったのでそれが楽しかったのに、高校には、当時はオペラ中心で活動する「音楽部」しか無かった。由緒と伝統があるということで、OB・OGも目を光らせている、文系花形部活だった。同じ楽器だからと思って入ったけれど全く文化が違い、面白くなくなってしまった。中学のときは合唱コンクールがあり、合唱も好きだったのだが、高校には合唱部が無く、これまた、オペラのアリアを唄う音楽部の一部門という形でしか、歌う活動は存在していなかった。

やりたいことが、高校には無かった。

 

無いならば作ればいいと思い、入学して1週間で、署名を集め嘆願書を書いて、合唱部を作りたいと言った。先生は許可できそうと言っていたが、顧問を探さねばならなかった。当然、顧問になるべき人は音楽教員ということで、音楽部に話がまわった。

音楽部の先輩から圧をかけられ、私が高校1年のスタートで行った、合唱部新設活動は散ったのである。その結果、待ち受けていたのは当然、音楽部入部であり、その後、私は音楽部に溶け込むことなんてできなかった。

 

今思えば当たり前の成り行きであるし、もっと政治的かつ戦略的に立ち回る必要があったのかもしれない。しかし、高校というのはとてもよくて、なぜなら通学路に新宿も渋谷もあり、少し行けば三軒茶屋と自由が丘、車なら横浜もすぐだった。遊びに行くところは沢山あり、もう学校に行くのは、家から出かける口実であれば十分だった。

 

つまり、高校に何があったのか、私は知らない。

 

文化祭の時にドミノをやらされてだるかった。

担任の先生が球技大会で燃えていてださかった。

校舎がかっこよかった。

バスで帰宅するのは勝ち組感があったが、2年からは車で送り迎えしてくれるボーイフレンドがいたのでバスすら乗っていない。

 

そんな私が大学に勤め教育職について、母校の先生から「高校生と話してみて」的なことを何回か言われ、でも悪影響しかないと思うので関わりたくないといつも断ってきたけれど。昨日、ひょんな仕事で母校に行き、先生と話したり高校生と少し話したりして思ったことがある。

 

案外、高校生には話し相手がいない子もいるんだな。

案外、昔の私に似ているのかもな。

知的好奇心にまかせて弁を振るう相手、なかなか見つからないよな。

授業で発言したら、浮くとか気にするんだよな。

年上と話したいと思っているんだよな。

高校生って、上を向いて生きているんだよな。

 

これが、高校について、今更わかったこと。

f:id:hari_nezumi:20171124182748j:plain(写真:高校生の写真は使えないので打ち合わせ風景。)

迷える10代の君へ

進路というのは、狭めてから広げるのはとてもむずかしい。


そして、10代に進路を決め込んでしまうことを一般的には、年長者は勧めない。
もし君に特別な、秀でた部分があり、それを職能として研ぐことが周囲からも妥当だと思われた場合は別なのだが。現状、君にそういう部分がないのだとしたら、いろいろなものを見て考え、視野を広げることこそが、10代のすべきことだと思う。

高校に行くというのは、視野を広げるのには大変よいことである。
しかし、高校は、学校である。

学校には学校の文化というのがある。それが得意な人と、そうでもない人がいることも知っている。でも、何か自分でこれだと思うものを見つけそれを人に主張できないうちは、学校はとても効率的に学べるシステムなのでそれを活用しておけばいい。私が10代の時、高校に行きたくなかったけれどそれでも高校に入り、そして高校を辞めなかったのは、そのシステムを活用しておこうと思ったからだ。

 

その後、私は紆余曲折あり研究職について、2013年ジャカルタに行ったのだけれど。そこでスラムの子どもたちの学習意欲に圧倒された。彼らは生き延びるために学びたいのだった。当たり前のように高校に進む君に、何を言っても無駄なのかもしれないけれど、私が、「教育学者」であろうと思ったのは、あの光景をみたとき逃れられないものを感じたからなんだ。

私は恵まれている。そのことに、腹を括って生きていかなければならないと。

 

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渡伊準備進捗報告

イタリア行きを調整中。現在、現地キーパーソンやコーディネータとの相談。参考文献を読み関心を絞っている。2月か3月に行けるよう考える。

授業を沢山持つ仕事に変わったため、長期出張に出られるのは2月、3月、8月、9月のみとなる。夏はヨーロッパでのヒアリングはかなり絶望的。だから春休みになんとか行きたい。

昨年度の春休みは、息子の転校準備で断念した。今年は彼の様子が落ち着いてきているから、行けそうな気がする。1年で彼は大きく成長した。

しかし、様々なリスクもあるので、早々チケットをとるようなことは出来ない。不自由になったものだ。しかし、私はとても恵まれていて、だいたい、これまで、見たいものは見に行けてきた。なかなかこんな人生もないのではないか。ありがとう。

イタリアの大地に、今年度こそ立つことができますように。

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考えたけど無理

人生において、社会において、透明で在りたいって想うことが頻繁にある。
誰にも見つからないで透明人間として暮らしていたいと、わりと最近まで思っていた。

 

でも、ちょっともう無理だわとなって、出たとこ勝負にすることにした。

仕事について事前にイメージできないことも多い。直前もしくは事中に考えてなんとかする。なんとかなっているとは思う。考えて考えて、閾値を越えたとき、自由になれる。

 

私が息が抜ける時ってどんな時なんだろう。透明人間のように接客できるってすごいし、でも透明じゃないからサービスできているんだし。

 

翻って、私の教員としての在り方はどうだろう。フィールドワークする理想は透明人間だと思っていた時期が結構長くあって、でもそれってすごくナンセンスなんだなと今は思っていて。教育者としてもあるときは無いように、あるときは気になる、そんな存在であると良いけれど。

 

ここまで書いて、それは私が大事に想う人にもおんなじスタンスでありたいと思っていることだなと。

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教わる構え

息子が、「編曲に興味を持ったので編曲家の知り合いは居ませんか」と私に聞いてきた。作曲をしている人は編曲もすると思ったので、きっと知り合いに居るとは思ったのだが、何故そんなことを聞くのかと聞くと、紹介してほしいと言う。

 

何故紹介してほしいのかと聞く。

すると彼は、編曲について教えてほしいと言う。

私は尋ねる。

 「編曲というのは、何時間の学習をもって習得されていると君は思うかね。そして、君はそれを、私が紹介するかもしれない誰かから、どのくらいの時間で教えてもらおうと思っているのかね?」

 

そして続ける。専門職が君に時間を割くということは、通常は対価が発生することなのだということを。それをしてもらうということに親しい仲であったとしても感謝をしなければならないし、それなりの構えが君自身にも必要なのだということを。君は、楽典の本をまる一冊隅々読んで、自分で思うように編曲もしてみて、そこで初めてプロフェッショナルと話せるところに立てるんじゃないかなと。何もしないで学べることなんて、たかが知れていて、君が現状で思いつく限りの努力をした上で、教えを乞うことができるのではないかと。

 

あなたは、こんな私を意地悪で冷たいと思うだろうか。子供の好奇心に寄り添わない、卑しい大人と思うだろうか。でも私は、専門性を持って働くというのはそういことを周りに理解してもらうということだと思っている。私の息子には、私がそういう考えを持って働いていることを知ってほしい。

(※勿論、並行して私は知人のつてを辿って、しかるべきときに息子にそういう出逢いをセッティングできるように黙って動いてはいるのだ。ただそれは、今ではないとも思っている。)

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記録は大事

息子に、広汎性発達障害の診断が確定した。詳細は、アスペルガー症候群ADHDの両方があるということで(両者が併存するかは医師によって見解の相違があるようだ)まあ、予想された結果だった。

 

私としては、彼の「めんどくさいところ」をどう愛せるかということに難しさを覚えている。なぜならば、私は自分以外にあまり興味を持てない(言い訳しておくと、私が研究できているのは、私の考えていることが全て「私」の延長にある問題だからだ。そういう意味では私の「私」は一般的な「私」よりもかなり拡張されている)。私自身が広汎性発達障害なのである。私には愛情というのがあるのだろうか。ずっと、考えている。私が他者に持ちうるのは、愛情ではなく興味でしかないのではないか。

 

そんな私だが、最近、「嬉しそうにされると嬉しい」というのを実感した。これは愛情かもしれない!特に、刺激に対して反応がすぐに還ってくるとわかりやすくて良い。感情が開発されていっているのだろうか。そういう感情をすぐに忘れるので、記録しておく。

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趣味をめぐる交錯性とソーシャル・キャピタル

趣味をめぐって人がつながるという、奇遇、いや必然がある。

たまたま参加したとあるワイン会で、1人で居た私のところににこやかな見知らぬ男女が声をかけてくださって、饒舌にワインへの愛を語っていかれました。そのうちのお一方が書かれた本があると聞いて、タイトルにも惹かれ買ってみました。

harinezumi-winecellar.hatenadiary.co

実際、ある時代にそこまで普及していなかった文化というのは強いネットワーキングを見せることがある(※日本においてワインは今ほど多くの人に楽しまれていなかった時代を経ている)。また、それが時代の変化によって消費が増えてからも、多層性により新しい核を持って渦のように展開することがある。

また、趣味間の関連性というのもあり、趣味は背反しないで併存しうる。会社や所属ならば(「従来は」と強調したい)原則1つへの帰属が一般的だった。日本において婚姻なら原則相手は1対1と思われるところが(これも「現在は」か?)、趣味は複数持っていても、「浮気」とはならない。コミュニティほど輪郭性が強くない、ネットワークなので、離脱でも参入でもない。時代は流動性、実は人ベースがつながっているだけで、壁はないのだ。そこでの主役として語りうるものは、個人であり主体なのだと思う。

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追記:

「ワイン/人との出逢い」を一層抽象化すると、「趣味(あるいは関心)/交錯性」といった感じになるだろうか。それを支えるのはコミュニティと呼ぶよりもネットワークと呼ぶ方が私にはしっくりくる。ちなみに、私がblogを複数持っているのは、思考を階層化・メタ化することに寄与するしそれぞれのレイヤーで読み手と議論しやすいと実感しているからでもある。

 

備忘録:趣味におけるハイコンテキストさについて