【11/27開催|参加者募集】豊かなパブリック・ライフを生み出す仕組み

こちらではまだ載せていなかったので、広報しておきます。

今回のEduce Cafeでは、カフェ文化研究家・東京大学情報学環特任助教の飯田美樹さんをお招きします。

ヨーロッパを訪れた時、美しい街並みや自由でリラックスした雰囲気の公共空間、オープンカフェで楽しそうに時を過ごす人たちを見て思わず息を呑んだことはありませんか。こうした都市での豊かなパブリック・ライフは、実は昔から変わらず存在し続けてきたわけではありません。ヨーロッパの多くの都市も日本同様、戦後は車中心社会となり、中心市街地は空洞化し、さびれていきました。このままではいけない、都市を人々の手に取り戻し、活気ある街にしたいという思いから、各地の都市改革が始まっていき、私たちが羨む今の姿ができたのです。ではどうすれば人がつい訪れたくなる、心地よい公共空間をつくることができるのでしょう。そのために研究や実践を重ねてきた先人たちから、豊かなパブリックライフを生み出すためのヒントを学びます。また、パブリックスペースの質をぐんと引き上げるために、いかにカフェが重要な役割を果たす役割かについても考察していきます。

 

詳細・お申込みはこちらから⬇

harinezuminomori.net

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本を書く意味

博論を公刊することを研究室後輩に勧めることがあるのだが、挑戦する人がいなくて少しさびしく思っている。

ワークショップデザインにおける熟達と実践者の育成

ワークショップデザインにおける熟達と実践者の育成

 

 博論公刊に対する意識や意義というのはバックグラウンドが異なるとかなり違う。大学への就職活動を考えるとすると、単著が1本あることはとても大きい(大きかった)。私が勤務する大学では、様々な業績が点数換算される仕組みになっているのだが、そこでの学術書単著のウェイトの高さには少々驚いた。

ただ、私が博論を公刊したかったのは、何も業績のためではない。「博論をください」と他人に言われたとき、印刷・簡易製本して渡すというのはなかなかな手間である。世話になった人に、きちんとした本として研究成果を渡したいという気持ちがあった。

 

それと同時に、どこかで見知らぬ人が私の本を手に取ってくれるかもしれないという想いがあった。後進につなぎたい、時間が経ってもあるまとまりを持った思考の総体を誰かに読まれたいとも思った。それはすなわち、己は何のために研究をしているのか、己の知見は誰に届けたいのか、ということと密接に関係する。

 

ちなみに私が博論を公刊することそのものの手本にしたのはこの本である。

退職シニアと社会参加

退職シニアと社会参加

 

教育研究は市民に向けて発信されるものである。さすれば、知見は公に開かれたものであるべきではないかと思う。私ができるだけ有償ではなく無償の実践にこだわったり、企業コンサルティングではなく普及を旨とした官公庁の案件に興味を持ったりするのは、一貫して、<研究成果をどこで誰に手渡すかモデル>を考えているからだ。1人の知見は、多層性を持って提示されるべきだと考えている。

 

博論本について、今となってはもっともっと書けたんじゃないか、できたんじゃないかと思うこともあるが、1つ1つのパーツとなる研究に関しては、未だに改訂したい部分はなく、何回人前で話してもその知見そのものには満足できている。博論を本にしたことで見えた世界というのがあって、それは次に何をしたいか、何ならできそうかということであった。これは博論を書いた時点で見えていたことでは必ずしもなく、少々タイムラグがある。

 

もっとも、出版事情は厳しいご時世であり、なぜそれを世に出す必要があるのか、と、厳しい問い詰めを食うこともあるだろう。でも、そこが、研究者と一般市民とがどこで接点を持っていきうるのか、考える大きな契機にもなりうるのだ。公刊を通じて私は多くのことを学んだ。

 

私はいろいろな出版助成を見た結果、こちらの制度を利用した。

研究成果公開促進費 | 科学研究費助成事業|日本学術振興会

また、こちらのサイトは熟読した。

http://www.hituzi.co.jp/hituzi-ml/
http://www.hituzi.co.jp/howtopublish/

 

博論本を出したことで、次の本の構想が編めた。

次の編著本でも多くのことを学んだ。こちらに関しては、内容も荒削り、もっとできたんじゃないかと思うところもあり。誤字脱字も見つけておりいろいろ悔やまれる部分もある。しかし、コンセプチュアルには新しいものを提示できたのではないかと思っている。実際、「偶然、知人の父親が手に取っていた」という話を先程聞き、偶然なのか必然なのか。まだまだ、本の力を確信するものである。今後は、もう少し、前作の背景を踏まえた上での各論として、ICTを交えた高齢者向けの教育実践や、セカンドキャリア・サードキャリアを志向する高齢者の意識とスキルに関する調査を行ってみたいと考えている。

 

 1冊、1冊、本を作っていく中で多くのことを学んでいる。逆に言えば、私が多くのことを学ぶための機会としても、本が機能している。

f:id:hari_nezumi:20150711144902j:plain(撮影:金田幸三)

変わること

あと3時間で本日が終了、というところで今日締切だった校正を思い出し、やって返した。他には何か締切だったものはないだろうか?いつになく、妙に(穏やかな)日曜日だったが。

 

週末を空けていたが諸事情・台風ということもあり遠出が無くなり、昨日の非常勤講師以降、細々とした作業をして過ごした。調理も沢山した。なにより、息子と進路の話をしたり、息子の秋・冬の服を買いに行った。病院に常備薬をもらいに行って、修理に出していたブーツも取ってきた。毎日のルーティンからこぼれ落ちがちな、しかしきっと大切な何かをした。

 

「デザインの魂は細部に宿る」という言説がある。

日常の質も細部を大事にすることで上がる気もする。細部を細とせず幹に繰り込んでしまうようなダイナミックな改変を行うといい。システム自体の見直しが必要だ。

 

2010年冬、私は鬱になって入院したことがある。実は私、神経質で考え方が細かいので気が滅入りやすい。しかし、もう同じ理由で入院することは無いのではないかと思っている。なぜならば、経験したことで兆候に気がつくことができるし、それを外に排出してしまう仕組みを作っているからだ。さらに、苦手な人間関係や苦手な現象が起きた場合は距離を取ることにもしている。

 

ダイナミックなシステムの改変というのはそういうことだ。人生はいつからでも遅いということはなく、常にシステムの見直しを必要としている。変わることを恐れてはいけない。変わったと言われることもまた、恐れない。

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かっこよく老いる

とある市民講座2回目終了。受講者は殆ど高齢者、80過ぎまで。向学心はみな強い。しかし、モチベーションもバックグラウンドもかなり違う。大人になると、本当にばらばらになっていく。高齢といえど、年齢も違う、受けた教育も走ってきた時代も違うわけだ。

1回目よりは、参加者がわかる分、用意が出来た。一方で、自分から発言してくださいというフェーズを作ったときの難しさがすごい。普段、地域のコミュニティカフェで話している高齢者と、いろいろなギャップを感じる。

前より手ごたえはあるものの、学習観の違いも根深い感じ。「いろいろな話を聞いたが、(自分のこととなると)よくわからない」という反応の人も。自分がどんな風に老いたいかのイメージを持ち、そこに至るために何が必要か次回までに考えてみましょう、という宿題を出したが、どうだろう。

餌付けのような教育ではないことを目指しているのだが。身体的な特徴もいろいろ差異があり、集団で学習支援することが向いているのかも悩ましい。

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因みに写真は母方の墓。

自己と責任と

体調管理も仕事のうち、と昔言われたのをよく思いだす。

昼過ぎまで元気だったのに、なんらかのアレルギー反応でダウンした。身体が敏感で、セーフティーネットみたくなっていて。

まあ、身体はよくできてるなと思うし、自然を感じる。

明日の予定には穴を空けたくないなあ。

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生涯の学習課題

「成人と学習」という半期の講義を昨年から担当し始めました。

社会教育主事という資格を取得したい人が取らねばならない科目として教育学部に設置されているのですが、実際には昨年も今年も、受講者には資格取得を目指している学生が多いわけではありません。設定されているのが5限ということもあり、ゼミナールのような雰囲気でやっています。

 

資格取得でもなければ、生涯学習専門の学生でもないわけで、生涯学習における理論変遷も扱いますが、できるだけ大学を出た後につながる内容にしたいと考えています。今年は、彼・彼女らの考えるこれからの「人生」「生涯」と、そこで予想される学習課題を1人1人考えてみて、その学習課題についてどのような学習方略がありそうか調べたり考えたりして1人ずつ発表するという中間課題を設定しました。

まず、大学生に、今後迎えるであろう社会についてリンダ・グラットン『ライフ・シフト』を紹介し、自分が生きてみたい人生100年の年表を考えてもらいました。

次の段階で、そういう人生を送ろうとした時、人生のそれぞれのフェーズでどのような学習課題が発生しそうかを検討しました。

彼らが考えた人生における学習課題の中で、1人1つ、自身が探求したい課題を選んでもらいました。それは下記のようなものでした。

子育て(思春期の異性のこどもとの付き合いや非行)

死とのつきあい方

世代差と関わり方

健康・食べること・出産

年齢ごとの家庭内円滑化

労働と職場

お金

多様な経験を可能にする

音楽演奏を生涯続けるために 

 

次に、学習課題はこのままでは大きいので、できるだけ具体的なタスクイメージを表現してみました。今後は、それらを実現できそうな学習方略を調べたり考えたりして、1人1人、自身の担当回に発表していく予定です。

 

こういうカリキュラムにした背景にあるのは、自己調整学習という考え方です。

高等教育の目標は生涯学習者(lifelong learner)を育てることであるとニルソン氏は言っています。

学生を自己調整学習者に育てる:アクティブラー二ングのその先へ

学生を自己調整学習者に育てる:アクティブラー二ングのその先へ

  • 作者: L.B.ニルソン,Linda B. Nilson,美馬のゆり,伊藤崇達,深谷達史,岡田涼,梅本貴豊,渡辺雄貴,市川尚,畑野快
  • 出版社/メーカー: 北大路書房
  • 発売日: 2017/07/14
  • メディア: 単行本
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自分で学習課題を発見し、自分の現状にあった学習方略を選択し遂行できる自己調整学習者を育てるために、何ができそうか。それが、私の最近の関心事の一つです。

 

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