賢さは何処にあるのか

賢さとは何なのでしょうか。

 

博士課程に行って大学に勤めてよかったと思ったのは、賢いことはアイデンティティにならない、賢いことは人間のデフォルトであると思えたことです。

大学で働くと、ふらふらっと歩けば「賢い人」に当たります。

やっと息ができる、奇異に見られない、好きなことを言っていい、そう思えました。

 

褒められてきた人、目立っていた人、ヒーローだった人、ハブられてきた人、疎まれてきた人、寂しかったひと、いろんな人がいると思います。

でもそういうところをずっとずっと突き抜けて、今ここで何をしたか、今ここで何をできたか。それだけを一瞬一瞬、認め合い分かち合える、そういう人間関係があることを大学で働く中で知ることができました。

 

今、あなたは何を考えていますか?

私は、こんなことを考えています。

 

それだけで会話が成立していく場所は「賢さ」があるコミュニケーションだと思うし、それは魅力的だと私は思います。

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話すこと

私は話すことが苦手だ。

包み隠さず全てを話したい衝動に駆られることがある。しかし、ひとは往々にして、全てを聴きたいとは思っていない。

つまり、全てを語ることは話者のエゴである場合がある。

これに気づいたのは小学生の時で、私はお喋りをする相手を慎重に選んでいる。

たまに息急き切ったように話してみては、後悔する。

相手が大事なひとであればあるほど、話すことを躊躇う。

話さない方が、離れなくてよくて楽だなあとも思う。

私は別れてきたひとたちに、まだ、言いたかったことがある。それは離れたくは無かったからだ。でも、往々にして、もう聴きたくないひとは黙り、去っていく。

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誰かといること

今年春ごろ、息子が不登校だったときに、しょうがないので仕事行く先々に同伴していたわけだが、一応行く場所は選んでいたつもりで。

ここに行ったらもしかしたら何か感じるかもしれないなあと思って連れて行った場所のひとつが、西成のココルームだった。そこで、私が大学の研究会に行っていた間、息子は書道をして待っていたのだけれど、彼が3月に選んだ言葉は「トランペット」だった。まだ宿屋の居間に飾ってある。

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数日前、息子から、ココルームに新しい書道を送って欲しいと言われた。

「この前は『トランペット』って書いたけれど、今は『合奏』って書きたかったから」と。

 

1人で吹くよりみんなで吹きたいんだな。

 相変わらず、家庭科の刺繍もトランペット、技術の自由レポートは電子楽器の歴史と動向、個人レッスンに部活と楽器にのめり込んでいく彼だけれど、1人で海辺で吹くよりも、仲間と合奏するのが楽しいと思っているんだなと思った。

 

彼は彼なりに、他人との関わりを面白く思い始めているのではないかと思う。半年で字も随分綺麗になったなとも思う。もう大丈夫、とは少しも思えないけれど、まあなんとかなるだろうとは思う。

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夏休みのレポート

もっと本当はいろいろ考えていることがあるし、楽しいことも考えているのだけれど、どうしても疑問に思ったので先にここにメモしておく。

 

以前、自由研究を出す先生は自由研究とは何かを知っているのかというような問題提起をするblog記事があった。夏休みになるとよく、誰かが拡散するので思い出す。

NAKAHARA-LAB.NET 東京大学 中原淳研究室 - 大人の学びを科学する: 「夏休みの自由研究」とはそもそも「何」なのか?:テーマ選びの際に考えておきたい3つのポイント

 

私には中学2年の息子が1人いる。

夏休みの宿題真っ最中で、リストを見ると自由研究は無いらしいが、各教科で様々なレポート課題があるようだ。彼は私が大学でレポートを添削したり書き方を教えたりしていることを知っているので、「レポートってどう書くの?」と聞いてくる。私には手加減が難しく、自分が大学生にこう書くようにと教えている通りのフォーメーションを教える。実は、及第点に至るための留意すべきことはそこまで多くない。

 

自分が大学時代も、他人のレポートに深い助言(敢えて代筆とは言わない)をしていたことがある。私は書くのが好きなので、レポートで成績がつく授業ばかりシラバスで選んでいた。テストより楽勝だと思っていたからだ。

 

では私はいつレポートの書き方を習ったのか。それは中学1年の自由研究をやっていたときではないかと思う。母に参考文献と引用の仕方について明記するよう注意された。そのときの助言はとても役立っている。彼女も私同様、博士課程に行っており、当時は在野にて作文や小論文指導をする教師だった。母が作文する様子を見て、恐ろしく速いので圧倒されていた記憶がある。

 

「レポートを出しなさい」と言っている各教科の先生たちは、レポートとは何か、レポートはどう書くのか教えているのだろうか?疑問に思い、息子に聞くと、誰も教えてくれないよと返事が来た。クラスメイトもポカンとしているとのこと。やり方がわからない宿題が憂鬱になるのは当然だろう。

 

私は今日、息子に書き方を教えているので、きっと彼は将来までそれを使うことができると思う。しかし他の学生にそのようなことを助言できる保護者がいるとは限らない。こうやって、教育というのは恐ろしいくらい格差が生まれていくんだよなあと思う。クラスの中で息子のレポートを見て、ああこうやって書くんだ、書くとわかりやすいんだと参考にしてくれる同級生がいることや、それを教員が促してくれることを、ほんの少し期待する。

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歩いていくこと

久々に熟睡した気がする。

あまりにこの数日、いろいろなものを見ていろいろなことを感じ、考えたのでどこから手をつけていいかわからない。やっとタイプするくらいに身体が回復した。(この数日に会った人を掴まえて饒舌に語ってしまってすみません、あれはいつもの私ではない、はずです。)

 

それだけ充実していたということ。実に、生きている。良い。

時間軸で整理していきたい気もするのだけれど、昨日思い出したことを1つ、先に書いておこうと思う。

 

宗教色の強いユタから飛び立ち、サンフランシスコ空港からUberダウンタウンにあるゲストハウスに向かう途中、ビルの立ち並ぶ風景を見て、やっぱり都会は好きではないなと思った反面、見慣れた風景にほっとしている自分が居た。この、相反する感情は、私が生まれた場所には抗えないということを示していると思う。

 

以前、職場にアメリカから来賓がいらした際、「これまでにアメリカに来たことがありますか?」と聞かれた際、私が2回と答え、「ハワイと…」と言ったら、同僚の年上日本人教員に「あなた、ハワイは…」とくすっと日本語で笑われたということがあった。私は続けて、「その前に、ボストンとトランジットでシカゴ」と言ったのだが、おそらくバカンスで行ったハワイはアメリカに行ったってことに入らないというニュアンスだったのだと察した。来賓のアメリカ人の方々は、私たちはハワイに行ったことがない、とか、いや素晴らしいところだ、とか会話をつなげてくれて、私はハワイには国際会議で行ったので海は見ただけなんだと言った。でも、このときから、私は、「あなたは今まで何回、アメリカに来たことがありますか?」という質問に、どう答えればいいのか、少し躊躇うようになった。

 

そして今回、ユタで私は「ハワイを入れて今回で3回目です。」と答えた。でも、そう答えてから、すごく自分で気持ち悪さを覚えて、後悔した。

ユタはとても独特だったし、おそらくアメリカの中でも変わったエリアなのだろうと思う。それでも、ユタはアメリカだ。だったら、ハワイだって、アメリカだとはっきり言えなかった自分はすごく嫌な奴だと思った。

アメリカは広く、実に様々な人々は暮らしているのだと思う。今回、ロサンゼルス、ソルトレイク、サンフランシスコ、降りてみてできるだけ時間の許す限り動いてみて、それでも、野菜は大きかったし、フレンドリーだったし、そしてそれはハワイでも同じことを感じた。ボストン・シカゴは7年前なので、ちょっとあまり苦いことしか思い出せないところもあるけれど。

 

「アメリカは人種のるつぼ」

教科書で覚えたフレーズだ。しかし、私はいつも、全く意味がわからないまま解答していた。でも、覚えたから今思いだす。教科書の意味を知るためには、歩くしかない。

 

みんながどこかで自分のルーツにこだわりながら、ときにそれを意図的に忘れ、ときにそれを支えにして生きているのか。国というのはとても不思議な概念だなあと改めて思った。

あなたと私、どこからが一緒で、どこからが違うのか。少なくとも、アメリカにはいろいろな信念や宗教があるので、そういうことで国の輪郭は見えてこない。

 

 

いつも自分に思う。

1つの国に、1つの街で行った気になるな。

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パンドラの箱

子育てをしていると、自分の過去に向き合う必要が出てくるので、猛烈な吐き気や不快感に襲われるときがある。職員室や教室、学校行事といったものに触れると、フラッシュバックしてくる嫌な想いがあり、本当にへろへろになる。

 

私は何を青年期に考えていたのかあまり思い出せないというか、おそらくすごく蓋をしているところがあって、そこが開き出すととても苦しい。

 

 他人の人生に自分の生を重ねていくこと。もしかしたら介護においてしんどいことも、そういう部分かもしれない。人はきっと、上手に忘れて生きているんだから。