調理室、1年をふりかえって

はりねずみの調理室は、今日で1年が経ちました。

2016年4月から初めて、通算276記事を書きました。

harinezumi-recipe.hatenadiary.com

書き始めた当初は、離れて暮らす息子に、自分がきちんと暮らしていることをふわっと伝えられるようにと、将来彼が一人暮らししたとき検索して使える家庭料理のレシピを残そうという気持ちでした。しかし、書く中で、いくつかの変化がありました。

 

第一に、自分の備忘録としてはじめたblogで他人とのコミュニケーションが活性したり、旧交が温まったりということがありました。不細工な料理や日常の断片を切り出すことに対して、なんでそんなことをするの?と想われた方もあるかもしれません。しかし、私は、以前は生活感がないとか外食ばかりだろうとか言われることも多かったので、料理blogを通じて私自身に親しみを覚えてくださった方もいたのではないかと思っています。

 

第二に、自炊の頻度が増えました。新しい職場に移り、タイムマネジメントがままならない状態から始めたので、ルーティンを知的な活動に転換するゲームとして実践できていたかと思います。1年、ほぼかぶりの無い献立を考えるというのは、ある種の実験でもありました。自炊をきちんと入れていくのは、体調管理にも支出管理にもつながったと思います。コンビニで惣菜を買うことがほぼ無かった1年でした。

 

第三に、調理がうまくなった気がします。写真を撮って、食べてから振り返る(食べてもらってから振り返る)ことで、課題も記述でき、手順や道具に対して再考できました。今年は、調理器具の整理、使いにくいものを棄て、少しずつ合理的なものに切り替えていくことをしたいと思います。料理教室に昨夏から通ったり、外食してもつくり方を考えるようになりました。また、SNSで流れてくる情報やFacebookで流れてくる料理写真をクリップし、後日のアイディアに活かしています。

 

第四に、写真を撮ることに興味を持つようになりました。人間を撮ることに関心を持てない私ですが、物撮りはとても面白く、今後はその方面でもっと専門的知識を吸収して仕事にも活かしたいと考えています。今年は一眼レフを買う予定です。きっと、世界の見え方が、また一段、変わってくるのではないかと楽しみです。

 

人生とは不思議なもの、息子はこの春、奇しくも東京に還ってくることになりました。

つまり、当初考えていた、書く目的というのは消滅したとも思えます。しかしながら、書くことで得られた予期せぬことがたくさんあったので、もうしばらく、面倒にならない範囲で続けられたらと思います。徐々に、二回目になったメニューも出てきているので、比較などしながら考察できるのではないかと思います。

 

私は丁寧に暮らすということを考えていった結果こういった活動をしているわけですが、これは全くの生活でも、全くの趣味でもない、不思議な実践です。生きる中に、こういった曖昧なものがあると、穏やかに生きていけるように思いました。

 

 

harinezumi.hatenablog.com

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言葉にならない

知人の個展を観に行った。

春休み最終日ということで、暇そうにしている息子も呼び出した。息子は、「花見とギャラリー」に行こうと誘ったらひどくつまらなそうで、暗い顔をして現れた。

桜は近所で見たし、絵は苦手だという。

確かに、何度か美術館に連れて行ったことがあるが、息子は絵だと早々にギブアップしてきた。でも、それは、彼が絵に何か意図を探し、答えを求めてきたからなのかもしれない。

 

 

今日は、彼にとって、「ギャラリーで個展を観た日」になった。作家が在廊するだけで、その絵は全く異なって見えるというのは、大学生のとき実感済みである。息子は、それは それは楽しそうに、ギャラリーから帰りたがらなかった。彼には好きな絵と、飾りたい絵が違うという気づきがあったらしい。そして、気になる絵と気にならない絵があるということも。

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彼は今まで、絵に対してせっせと、何かを探していたのだろうと思った。わからないことだらけの鑑賞者 は、描き手を質問攻めにしたかったようだが、描き手もまた、描く中でわからないものを探し、描きながら見つけ、また生成しているようにも想う。

 

言葉にならないことがあるから、描き続けなければならない。踊らなければならない。全てを言葉に回収しないことも、私には大事なような気がしてしまう。

 

帰り道、彼が非常に楽しかったというので、誘ってよかったなと思いつつ、私はひどく疲れていた。答えのある世界の外に、どうやって彼は早く出ていけるのか。それを考えると、少し暗澹たる想いもするのだった。

終身雇用に思うこと

テニュアという言葉は、大学院に行ってから知った。大学等の高等教育における教職員の終身雇用資格の意味らしい。

私は、大学院に行くまで、定年が関係ある仕事に就くことを考えたことがなかった。自営業も、作家も、芸術家も、政治家も、定年って多分なくて、自分でここまでって思って仕事を終える・辞める世界だと思う。だから、会社員になるイメージを持っていなかった私は、昨日、「定年**歳とする」っていう辞令をもらったとき、すごく遠いところに来てしまったという気持ちになった。

 

そもそも、公募に出したのは助教だったのに、「採用しようと思うんだけれどいろいろあって助教ではなく講師でどうですか」と言われ、「はい、喜んで」ということで講師になった。3年勤務するとテニュアになることになっている、だいたいの人は、とは言われていたけれど、物騒な話もよく聞いたし、実際、さよならになっていく人も周囲にいて理由は聞けなかったので、はっきり、「パーマネントの審査をするので書類一式だしてください」と言われるまでは不安だった。それが昨年の11月だったか。

 

私は他の人と違い9月着任だったので、3年働いて今年度の秋からパーマネントかなと思っていたのだけれど、辞令交付式に来てくださいという手紙をもらったとき、もしかしてこれは所属が変わる以外のお知らせも入っている?と予感した。でも、所属長や事務方に聞いても、わからないと言われ、行ってみたらわかるからいいかと思った。(こういうのがクリアじゃないところが、いかにも大学の人事っぽい。)

 

で、行ってみて、着任から2年半にして、晴れて4月からテニュアになっていた。自分が思った以上に、おめでとうと言われ、そうかこれはすごくめでたいのかと思った。

 

めでたい。それが何を意味することなのか、就活しなくていいってことだからいいことなのか。働きやすい環境だし、しばらくここで、この地域でやっていきたいという気持ちを新たにする一方で、定年ってすごく先だし、一方で定年ってこんなに若いんじゃその後があるじゃないと。つまり、終身雇用ってなんだろう?全然、終身じゃない気がする、という。

 

やはり、このままだと定年後なのか定年少し前からなのか、全く別の仕事をしていく計画を、着々と進めるという感じ。力つけていかないと。身が引き締まる想い。

 

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草間彌生明日咲く花」「真夜中に咲く花」】

他人目に晒す

一昨年度は、身の丈を越えたプロジェクトに挑戦する年でした。

昨年度は、今までやってきたことを整理し丁寧に顕実に土台を固める年でした。

今年度は、勇気と希望を持って、さらに新しいところに踏み出していきたいと思っています。

 

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新刊はamazon他、「現在取り扱いできません」という表示になり、ご迷惑おかけしています。注文数が想定以上だと起きる現象のようで、困ったような嬉しいような気持ちです。そのうち安定して流通すると思いますが、書店にてご注文いただくのが最も早く入手できる方法かもしれません。ちなみに、出版社には潤沢に在庫があること確認済みです。初版1600部ですので。

 

今、新刊の紹介を兼ねて、シノドスに寄稿する準備をしています。

synodos.jp

初稿にコメントをいただいたので、それに対して追記をして明日明後日にでも編集にお返しするつもりです。そうすれば、書籍の概要が多くの方に、オンライン・無料でお届けできます。ちなみに、ここでこう宣言しておけば、改稿をサボることなくやれることを私は知っています。

 

最近は、これまでの研究内容を国際会議等、英語で発表する準備も進めています。国外の方からどのような反応があるか、興味があります。

 

ワークショップデザインにおいて、よく、「つくってー語ってーふりかえる」というTKFモデルが使われますが、この原型には「つくってー晒してーふりかえる」という考え方がありました。晒す、つまり外化することは学習において非常に重要です。実は、ワークショップデザインに限らず、自身の学習環境をデザインする際にもとても有効なのです。私は、大きなサイクル、中くらいのサイクル、小さいサイクル、を決め、その中で自分がどのように学ぶことを期待するか考え、その上で自分の仕事のスケジュールや展望をざっくり決めています。

おそらく、多くの研究者、多くのビジネスマンが、自身が成長するための環境デザインモデルを持っていると思いますし、それを日々更新していると思います。

 

学習環境デザインの話をするとき、これは教育者のためのものではなく、寧ろ学習者、己のためのものでもあるということを説明します。教育学を学んで、研究していてよかったなと思う最大の理由は、自分の学びを俯瞰する視座を持つことができることかもしれません。

新刊出ました

新しい概念を打ち出したという意味では単著より苦しかったし、ある意味嬉しいかもしれないです。素直に、現時点で私ができる最大限背伸びした仕事なので、ひとりでも多くの方に、手にとっていただきたい本です。

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生き延びる力

今日は、大阪から青春18切符で東京に帰っている。

私1人ならばこんなことはしないのだが、息子が一緒なのでそのようにしている。

 

seisyun.tabiris.com

 

2人で新幹線移動はお金がかかるし、2人で移動すれば強制的に運命共同体なので会話をするし、プリミティブな意味で列車のありがたさや日本の広さを感じられるし、車窓は楽しいし、閉塞感はないし、いろいろ良いことはある。1人でやると、荷物見ててねみたいなことはできないので、春夏冬の休みの時期は、こういうサバイバルもいいのではないかと思う。

 

しかし、それ以上にちょっとだけ思っていることがあって。

10時間の移動にへこたれてたら、海外なんか行けないじゃん、ってことなんだよね。

10時間飛行機に乗ると、だいたい、成田からヘルシンキに行ける。

 

息子は海外に行きたいってずっと言っていて、それはきっと私の影響なんだと多少罪悪感もありつつも、もしそういう志向性に彼が育っているならば、じゃあ、必要最低限のスキルセットは与えておこうかという。まあ、私もそこそこ、親なんだなあと思う。

 

内心、私が日本で暮らす最後の世代かもしれないと思う時もあって。息子にはいつでも、暮らしやすい国で生きて欲しいと思っている。

 

私からしたら、学校の勉強とても大事だし、いつか身を助けるっていうのも日に日に身にしみているのだけど、プラスアルファ、どこで学ぶの生き延びる力を?っていう疑問がある。生きる力ではなく。誰かを蹴落とすとかそういうことでもなく。自分の力でそこに立って、行きたいところを決めて、そっちに何としてでも行くっていう方法を考えていくっていう力。

 

例えば、電車には、行き先と出発時間があって、そこが表示を見る時大事なんだということをまず教えたい。

 

東京生まれ東京育ちだと、到着予定時間に着くのが当たり前みたいな雰囲気あるけど、北陸とか北海道に棲んでいる人ならそんなことないのは知っているはずだ。列車は、線路があるから、進もうとする。でも、予定時間に着かないこともある。そのときに大事なのは、今何処にいるかを知ることだし、それは行きたいところあるいは行きたい方向とどのくらい差分があって、そこに行くルートは何ルートあるか、それを知っているか、考えられるかなんだと思う。ときには待つことも、諦めることも。途中下車しても、日付が変わるまでに改札を出られればOKだという青春18切符のルールと、人生はちょっと似ている気がするんだ。

 

人生はもう少し難しくて、いつ死ぬかわからないケースも多くて、だから、どこでどう辻褄を合わせていくか、カードの切り方が腕の見せ所になるわけだけど。それでも、最期、よかったなと思えるようにやっていくしかない。

 

トイレがある電車と無い電車があるとか、向い合わせの車両とボックス席の車両があるとか、それを知っていたら少しだけ快適さが違うとか、長く乗るときは水が必要だとか、水を飲みすぎるとトイレがないときは困るとか、お腹が空くかもしないから何か食べ物を持っておくとか、充電はたっぷりしておくとか、そういうこと。そういうのは、予見をしておくということで。無くしてもなんとかなるものと無くすとややこしいものの区別とか、シワになっても汚れても構わないそれでいてそこそこちゃんと見える服装とか、頼れば良い人や機関とか。

 

私にとって、大切なのはそういうこと。

 

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浜松市楽器博物館で見た、トランペットとホルンの原型。長く使われるものにはシンプルな初期モデルがある)

迫間にて

大阪の西成・釜ヶ崎と言って、わかる方がどのくらいいるのかわからない。

少なくとも、私は、こういった街のその存在を、大学生まで知らなかった。

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matome.naver.jp

今日は、大阪で研究会に参加したので、以前から気になっていた西成のココルームに宿泊してみた。昨年夏、アーツ前橋にシンポジウムのパネリストとして招かれた際に、ココルームを運営されている、詩人・上田假奈代さんも同席されていて、それでご挨拶したのがきっかけだった。

cocoroom.org

釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム

釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム

 

 

このエリアは日本一人口過密な地域なのだと、上田さんは言っていた。

あの小さな1つの窓に、1人の人が住んでいるのだと。

 

今日参加してきた研究会は、社会調査協会公開研究会「ライフストーリーとライフヒストリー:『事実』の構築性と実在性をめぐって」だった。

私が社会学に進まなかった理由は、私が「『社会』を知らない」という気持ちにあるような気がする。貧困や差別や階層といったテーマを扱う研究の話を聞くたびに、なんだか申し訳ないような、居心地の悪いような気持ちになる。生まれ育ちはどうにもできることではなくて、だから、感謝するしかなくて、じゃあ何ができるのかなということを考えたとき、私はそっちには足が進まないのだ。

 

ココルームに来てよかったなあと思うのは、詩人である上田さんの創作の賜物であり創作意欲の源がこういう活動そのものにあるのかなと感じられたことである。特にインタビューをしにきたわけでもなく、なんとなく一晩、上田さんがやっているゲストハウスで過ごしているだけなのだけれど。でも、上田さんが部屋や敷地を案内してくれたときに、これは作品なんだし活動が芸術なんだなあと思えて、清々しかった。貧困と闘うとか、誰かを守るとか、そういう目的のためにというよりは、結果としてそれがそこにいい形で存在するというような、優しさを受け取った気がした。

 

私は、研究者になる前は実践者だったし、芸術作品を創作する側に居たあるいは居たいと思ってきたわけで、私はなんだか、創りながら他人と自分の作品を比べたり比べられたりしながら、いつしか何も創りたくなくなってしまった。その先に子供がいたり、そして、当たり前のような感覚で大学院があったりした。創りたいという気持ちの素直な表出が、今は研究すること、そして、書くことに向っているんだろうなと思った。

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正直、頑張って大阪まできたわりに、出た社会学の研究会については、内容の50%もわかってない気がする。それでも来て、違和感は感じ取れたのでよかったのではないかと思う。