生き延びる力

今日は、大阪から青春18切符で東京に帰っている。

私1人ならばこんなことはしないのだが、息子が一緒なのでそのようにしている。

 

seisyun.tabiris.com

 

2人で新幹線移動はお金がかかるし、2人で移動すれば強制的に運命共同体なので会話をするし、プリミティブな意味で列車のありがたさや日本の広さを感じられるし、車窓は楽しいし、閉塞感はないし、いろいろ良いことはある。1人でやると、荷物見ててねみたいなことはできないので、春夏冬の休みの時期は、こういうサバイバルもいいのではないかと思う。

 

しかし、それ以上にちょっとだけ思っていることがあって。

10時間の移動にへこたれてたら、海外なんか行けないじゃん、ってことなんだよね。

10時間飛行機に乗ると、だいたい、成田からヘルシンキに行ける。

 

息子は海外に行きたいってずっと言っていて、それはきっと私の影響なんだと多少罪悪感もありつつも、もしそういう志向性に彼が育っているならば、じゃあ、必要最低限のスキルセットは与えておこうかという。まあ、私もそこそこ、親なんだなあと思う。

 

内心、私が日本で暮らす最後の世代かもしれないと思う時もあって。息子にはいつでも、暮らしやすい国で生きて欲しいと思っている。

 

私からしたら、学校の勉強とても大事だし、いつか身を助けるっていうのも日に日に身にしみているのだけど、プラスアルファ、どこで学ぶの生き延びる力を?っていう疑問がある。生きる力ではなく。誰かを蹴落とすとかそういうことでもなく。自分の力でそこに立って、行きたいところを決めて、そっちに何としてでも行くっていう方法を考えていくっていう力。

 

例えば、電車には、行き先と出発時間があって、そこが表示を見る時大事なんだということをまず教えたい。

 

東京生まれ東京育ちだと、到着予定時間に着くのが当たり前みたいな雰囲気あるけど、北陸とか北海道に棲んでいる人ならそんなことないのは知っているはずだ。列車は、線路があるから、進もうとする。でも、予定時間に着かないこともある。そのときに大事なのは、今何処にいるかを知ることだし、それは行きたいところあるいは行きたい方向とどのくらい差分があって、そこに行くルートは何ルートあるか、それを知っているか、考えられるかなんだと思う。ときには待つことも、諦めることも。途中下車しても、日付が変わるまでに改札を出られればOKだという青春18切符のルールと、人生はちょっと似ている気がするんだ。

 

人生はもう少し難しくて、いつ死ぬかわからないケースも多くて、だから、どこでどう辻褄を合わせていくか、カードの切り方が腕の見せ所になるわけだけど。それでも、最期、よかったなと思えるようにやっていくしかない。

 

トイレがある電車と無い電車があるとか、向い合わせの車両とボックス席の車両があるとか、それを知っていたら少しだけ快適さが違うとか、長く乗るときは水が必要だとか、水を飲みすぎるとトイレがないときは困るとか、お腹が空くかもしないから何か食べ物を持っておくとか、充電はたっぷりしておくとか、そういうこと。そういうのは、予見をしておくということで。無くしてもなんとかなるものと無くすとややこしいものの区別とか、シワになっても汚れても構わないそれでいてそこそこちゃんと見える服装とか、頼れば良い人や機関とか。

 

私にとって、大切なのはそういうこと。

 

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浜松市楽器博物館で見た、トランペットとホルンの原型。長く使われるものにはシンプルな初期モデルがある)

迫間にて

大阪の西成・釜ヶ崎と言って、わかる方がどのくらいいるのかわからない。

少なくとも、私は、こういった街のその存在を、大学生まで知らなかった。

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matome.naver.jp

今日は、大阪で研究会に参加したので、以前から気になっていた西成のココルームに宿泊してみた。昨年夏、アーツ前橋にシンポジウムのパネリストとして招かれた際に、ココルームを運営されている、詩人・上田假奈代さんも同席されていて、それでご挨拶したのがきっかけだった。

cocoroom.org

釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム

釜ヶ崎で表現の場をつくる喫茶店、ココルーム

 

 

このエリアは日本一人口過密な地域なのだと、上田さんは言っていた。

あの小さな1つの窓に、1人の人が住んでいるのだと。

 

今日参加してきた研究会は、社会調査協会公開研究会「ライフストーリーとライフヒストリー:『事実』の構築性と実在性をめぐって」だった。

私が社会学に進まなかった理由は、私が「『社会』を知らない」という気持ちにあるような気がする。貧困や差別や階層といったテーマを扱う研究の話を聞くたびに、なんだか申し訳ないような、居心地の悪いような気持ちになる。生まれ育ちはどうにもできることではなくて、だから、感謝するしかなくて、じゃあ何ができるのかなということを考えたとき、私はそっちには足が進まないのだ。

 

ココルームに来てよかったなあと思うのは、詩人である上田さんの創作の賜物であり創作意欲の源がこういう活動そのものにあるのかなと感じられたことである。特にインタビューをしにきたわけでもなく、なんとなく一晩、上田さんがやっているゲストハウスで過ごしているだけなのだけれど。でも、上田さんが部屋や敷地を案内してくれたときに、これは作品なんだし活動が芸術なんだなあと思えて、清々しかった。貧困と闘うとか、誰かを守るとか、そういう目的のためにというよりは、結果としてそれがそこにいい形で存在するというような、優しさを受け取った気がした。

 

私は、研究者になる前は実践者だったし、芸術作品を創作する側に居たあるいは居たいと思ってきたわけで、私はなんだか、創りながら他人と自分の作品を比べたり比べられたりしながら、いつしか何も創りたくなくなってしまった。その先に子供がいたり、そして、当たり前のような感覚で大学院があったりした。創りたいという気持ちの素直な表出が、今は研究すること、そして、書くことに向っているんだろうなと思った。

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正直、頑張って大阪まできたわりに、出た社会学の研究会については、内容の50%もわかってない気がする。それでも来て、違和感は感じ取れたのでよかったのではないかと思う。

ららららららら

映画を週一映画館で観る、そういう生活をしたいと本気で思っている。去年は結構頑張った。23、24歳までのペースに戻したい。

映画だけではなく、物事を深く理解したい場合は、集中的にシャワーのような摂取をする中で膨大な差異反復でメタ視点を得るのが一番の近道だと思っている。映画には特有の文法、話法があるので、観ていないと鈍るなあという気もする。

 

こんな私が、『ラ・ラ・ランド』を観たら。

gaga.ne.jp

感想。ディズニーランドのパレードを観ているみたいな感覚。好きな人がいるのはわかる。純粋に楽しい。口ずさみたくなる。でも何か感動したかと言えばそういうのは無い。寧ろ、何もないくらい爽快。私はファッションも音楽も好きなので、それを楽しむつもりで割りきっていた。だから、1300円のチケット(夕方割引)は損とは全く思わない。

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しかし、ストーリーは単調、感情描写に乏しく浅薄と感じた。軽薄とは思わない。軽妙は結構なことだ。しかし、男女の葛藤、心理描写が削られているので、感情移入しにくい。ドラマチックなダンスシーンを際立たせるためにも、葛藤はコントラストをしっかりつけて表現するべきだったのではないかと思う。

 

カメラワークに斬新さを感じた人もいるのかもしれないが、主役女優にスポットがあたるシーンとか、ベッドで寝転ぶシーンとか、『バッファロー66』を思い出さずにはいられなかった。同じような感想抱いた人はいないかしら。

 

ちゃんと、息子用に輸入盤サントラをタワーレコードで買って帰ってしまうあたり、きちんと満足できているんだなとは思うんですけどね。

Ost: La La Land

Ost: La La Land

 
ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

ラ・ラ・ランド-オリジナル・サウンドトラック

 

覚悟の証

大変悩んだ末、高校の時買ったホルンを手放すことにした。

左が息子のトランペット。右が私のホルンである。

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ホルトンH179、状態は良好。しかし大学以降、実家に置いたままこの楽器を吹く機会はなく過ごした。息子がトランペットを買いたいと言ったとき、下取りに出すことも考え、一度査定したが、メンテナンスしてもう一度吹くかと思った。

 

しかし、秋、メンテナンス後の楽器が届いてからも、私がこの楽器を吹く機会は無かった。忙しかった。そう言ってしまえば簡単なのだが、よくよく考えてみると、どうしても吹きたいならば無理やりでも機会をつくるわけだ。つまり、今の私には、楽器を吹くことよりもしたいこと、大事なことがあるということ。

 

それに気づいてしまったので、いてもたってもいられなくなった。この楽器を、どうしても吹きたくてたまらない、大事に使ってくれそうな誰かに渡したい。

 

息子の楽器を買う際に、足繁く通った楽器店があった。まだどの楽器をやりたいかも決まっていなかった息子に、それぞれの楽器の良さやキャラクターを話す店長の姿に興味を持った。聞けば、ほぼ吹奏楽にある楽器は全て経験しているという。それぞれの楽器の魅力とちょっとネガティブな面をも知るからこその接客にプロを感じた。

秋、そのスタッフが名古屋に移籍してしまったと知り、今回、彼に楽器を託すことにした。大事なものを預けるので、人を選びたかった。だから楽器は名古屋まで送った。

 

本日、査定結果を受け取り、十分納得できたので承諾した。

迷いなく、自分のやるべきことをやっていこうと思った。そして、楽器を吹くことはしばらく息子に任せることにする。数々の演奏活動を観に行けることを心待ちにしている。

 

そして、次に楽器を買うときは何にしようか、と、今から少し楽しみである。

分かれ道

もう、悩んでも迷っても決めるのは自分だし、相談する人もそんなにいないんだよね。こうやっていろんな選択を乗り越えて、責任をとっていくんだなあと。

 

壮大な背景を書くためには本を書くのが良い。論文には紙幅の関係でそれを十分に書くことができない。論文は焦点を絞った一つの研究を書ききるものだから。

これはいろいろな人から、私がよく言われてきたことだ。

 

つまり、壮大な問題提起をしたいのであれば、本を書くべきなんだと思う。じゃあ、学術書を含め本を書けるようになる、書かせてもらえるようになるためには、どんなステップが必要だろうか。

 

それは、堂々巡りのように思われるかもしれないけれど、小さな成果を積み上げて行くことの延長にしかないのだと、私は思っている。つまり、研究者ならこつこつ論文を書くこと。

あとは、やっぱり、仲間を探すこと、仲間をつくることだと思う。

他の方法を知っている人がいたら、教えてください。

 

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今を生きよう

旧友がミュージカル好きでライブをするというので、息子と観に行った。

英語がわからないと、感じが伝わらなかったかもしれないが。

それでもライブMCでタイトルの説明があったので、少しは選曲の意図が息子にもわかったのではないだろうか。ライブのタイトルは、"Seize the day"、「今を生きる」。

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選曲は現地で見たのだが、昨年観に行った『キンキーブーツ』の"Not my father's son" と、同じくCyndi Lauper作曲の"True Colors" が入っていた。

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キンキーブーツは、親の期待にそえなかったと悩む2人の人間が出逢い、それでも新しい道を切り拓くという物語。父の望む「強い息子」になりきれなかったと高らかに唄い上げる、美しいドラッククィーンのローラ。

www.youtube.com

実はこのミュージカルよりもだいぶ前であるが、"True Colors" にも同じようなMessageが入っているように思う。昔よく聴いたなあと懐かしく思う。

 

"True Colors"

You with the sad eyes
Don't be discouraged
Oh I realize
It's hard to take courage
In a world full of people
You can lose sight of it all
And the darkness inside you
Can make you feel so small

But I see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you
So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors are beautiful,
Like a rainbow

Show me a smile then,
Don't be unhappy, can't remember
When I last saw you laughing

If this world makes you crazy
And you've taken all you can bear
You call me up
Because you know I'll be there

And I'll see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you
So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors are beautiful,
Like a rainbow

[Whisper:] Can't remember, when I last saw you laugh.

If this world makes you crazy
And you've taken all you can bear
You call me up
Because you know I'll be there

And I'll see your true colors
Shining through
I see your true colors
And that's why I love you
So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors
True colors are shining through

I see your true colors
And that's why I love you
So don't be afraid to let them show
Your true colors
True colors are beautiful,
Like a rainbow.
 

学会の歩き方

学会参加の醍醐味の一つは、ロールモデルを探すことかもしれない。

 

大学院に入った頃、自分がやりたいことと他人がやっていること(他人のやってきたこと)との関係性がいまひとつわからなかった。自分の関心のあることを扱っている人はいないようだったし、同期先輩含め他の人のやっていることにさほど関心も持てず、どれを読んでも何を聞いても他人事、面白いと思わなかった。お恥ずかしい話である。

しかし、夏を過ぎ、修士1年で学会の大会に参加する機会があった。自分の研究はまだテーマも決まっていない。そのときの学会は地方開催だったので、航空券やホテルの手配は修士1年である私の役割だった。前日に指導教員に「学会の歩き方」を呑みながら教えてもらうという会があった。実習前教育のようなものだと思う。前日に、大会発表者の一覧を見ながら、明日から何を見るか、情報交換する会である。一覧は知らない名前ばかりだったので、私は勧められた研究者の発表と、タイトルが気になる発表とを聞くことにした。

学会大会やら研究会やらに行くと、いろいろなふるまいの人がいる。発表がスマートな人もいるし、ガチガチに緊張している人もいる。初めて行ったときは、聞く専なので、気楽だった。いくつか、思いの外面白いなあと思えるものや、「読んだことのある論文の著者だ」と思うこともあった。しかし、一番、印象に残っているのが、Iさんという人の発表だった。昔、別のブログに書いたような気もするが、なぜ印象に残っているかというと、機材トラブルでスライドが出なかったからだ。スライドが出ないにも関わらず、Iさんは、持っているハンドアウトを配布して、何の問題も無かったようにその発表を終わらせた。そして、その内容はとても面白かった。後日、その研究が雑誌に載ったので、私は論文のお手本として、構造を理解したくて書写してみた。その論文は、論文賞を後日受賞した。私の最初の投稿論文は、Iさんの論文の構成を真似して書いたものである。話したことは今でも挨拶程度なのだが、論文は何回でも読める。とても良い。

これが、私の学会参加の初体験である。

勿論、他にも、懇親会に出たり若手飲み会に行ったり、いろいろな人と話したり、あったのだけれど、やっぱり、危機に対処する力を見たのがとても鮮明な記憶になっている。私は今でも発表が得意ではないし、人前で話すのも好きではないけれど、それ以来、なるべくポスター発表ではなく口頭発表を選び、場数を踏んでスキルを上げたいと思うようになった。

あれからだいぶ時間がたって、研究会に出れば座長を指名されるという立場になった。今日は、同部屋の方の接続がうまくいかないというトラブルがあった。パソコンをお貸しすることで、発表を定刻通り済ませられるよう支援をした。そのとき、昔見たIさんのかっこいい姿を思い出していた。

 

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