冬眠

来る春の嵐に備えて、ただいま、冬眠中です。

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写真は、原美術館で開催された、篠山紀信展 「快楽の館」で、唯一撮影可能エリアだった庭にて撮ったものです。最終日である2017年1月9日来訪しました。閉館までいたら、篠山氏も見かけました。

 

ところで。例えば、眠ることって、最高の快楽だよね。

この写真展で、快楽の捉え方に対し薄っぺらさを感じたのを今更、思いだしました。

www.cinra.net

久しぶりにシャネルの口紅を買った。

真っ赤な口紅を買った。

それって、案外見破られるものなんだなという気がした。

いつも赤い口紅をつけているのに、それでも、なんだか今日は違うのだろう。

それはきっと、私が違ったのだろう。

赤い口紅を買ってきた私は、何か違ったのだろう。

 

1年前は、その口紅、赤すぎるんじゃないかと言われたものだった。

今は、それが私に馴染んで、

いや、私が何かを変えて、それを馴染ませて。

ゆがんだ口でそれを見て。

 

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時の単位

今日はどうか、昨日はどうか。

そういうことの積み重ねの先に明日があることは間違いない。けれど、大きな仕事をするということは、少しだけ、時の読み方を変えることでもある気がする。

 

先日、ご縁があって、とある企業の研究会で講演をさせていただく機会があった。とても手応えある2時間になった。しかし、その手応えの背景には、これまでの関係性があり、そして、私が先方を知るプロセスがあり。だからこそ、話し方、話す内容を、充分、カスタマイズできたのだと思う。

 

その企業と初めて関わったのは大学院生の時だったので、聴衆の中には、私が学生時代にお会いした方もあった。その頃の私が、彼にどんな風に見えていたかはわからないけれど、なりゆきで立派なお店ですき焼きをご馳走になったという想い出がある。興味があって、聞いてみた。

「まちづくり、再開発の仕事というのは、もちろん、終わりはないというのはわかっているのですが、だいたい、どのくらいで一段落するものなんですか。」

「20年ですね、昔は10年くらいだったんですが。」

それから、少し書けないような話もしたのだが、兎に角、その、20という数字に、圧倒された。これまで10年やってきた案件がかたちになりそうだとか。気の遠くなりそうな話だけれど、それをやっていく人たちがいるんだなあと関心した。

 

私たち教育研究だって、本当はもっと長いスパンのことを考えている必要があるはずで。今日どうだ、半年でどうだと、勿論、刻々と変化は見られるけれど、でも人が育っていくのも大きな時間の中で、ゆったりと構えてみていけたらもっと面白い気がしていて。だから私はキャリアヒストリーとか、長期スパンでの熟達とかに関心があるんだろうなあ。

 

自分自身をとってみても、確かに、過去は現在につながっているのだけれど、時々、そのつながりが見えなくなって、足元が不安に思えることもある。昨日が今日につながっているかは疑わしい。もう少し大きいブロックで考える必要がある。

 

この前の読書会にきた高校生も、大学生も、大学院生も、私は彼らと出逢った時のことをよく覚えていた。中には付き合いが長くなってきた人もいる。私は、これからもずっと彼らを見ていけたらなあと思う。それ以外でも、勉強会やイベントや、授業や、出逢った人の中で、その後どうなっているかなあと思うことはよくある。真面目にやったり、うまくいかない時期があったり。いろいろあるかもしれないけれど、きっと、長い時間の中で考えれば誤差のようなことも沢山ある。

 

これから、後半の人生では、長いスパンで仕事ができると思う。大きな仕事と言うべきかもしれない。今度は、その大きな仕事、長いスパンの中に、どのような小さなステップを見出すか、もしくは見せていくか、というのも腕の見せどころかもしれない。

 

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(写真は、トレポーターというスウェーデンの多世代型コレクティブハウスの中にある共有のこどものあそび部屋。筆者撮影。)

学際・協働

2月1日から、東京大学大学院情報学環の客員研究員に、再びなることになりました。

実は、これは私にとって、とても嬉しかったのですが、理由はいくつかあって

(1)教育学の人ではない人(で、気になっていた人)から声がかかったこと

(2)重要かつ興味のあるテーマだったこと

(3)メンバーが多彩でかつ自分とこれまで接点が全くない人ばかりだということ

(4)これからはもう少し社会学を学びたいと思っていた矢先だったこと

 

今回は社会学者の北田暁大先生からのお誘いだったわけですが、大学院時代に修士1年で一回授業を受けていたくらいの接点しかない方に声をかけていただくのは不思議でもありました。しかし、blogを読んでいただいた上で、どういう役割を果たしてほしいかという説明もしていただき、熱意も感じるオファーだったので、関わらせていただくことにしました。

 

人的資本論に基づく教育機関のダイバーシティ実装に向けた人文社会学的基礎研究」の学際プロジェクトに教育学者としてかかわらせていただくことになりました、と息子に報告したら、「それってよかったの?」と聞かれたので、できるだ簡単に説明しまてみました。

ひとりひとりが持つ違い(性別、人種、国籍、宗教、年齢、学歴、職歴など)を受け入れ、それぞれを価値として活かすことで、もっといい教育機関(例:大学)にしていこう、そういう環境をつくっていこうっていう研究だよ。

そしたら、「それは嬉しい」と返事が来ました。

私も、「だからよかったんだよ」と言いました。

 

私はこれまで、自分が中心になって始めることはあっても、指導教員以外の他人に共同研究をしようとあまり誘われませんでした。でも、それは自分が何ができるってことを、はっきり看板として掲げきれていなかったからなんじゃないかと思い至りました。

 

例えば、学際的な課題に対し、「私は何を使ってどこからどこまでが明らかにできる」、「どこまでを支援できる」、これをはっきり言えることが重要なんだろうなと。なんでもかんでもできるように見せるハッタリは、プロの研究者の間では不要です。RISTEXを経て痛感したことでもあります。背伸びしすぎない、等身大の今の自分が、どこで何ができそうか、それを把握することの大切さを感じています。そして、足りない部分について、他者を信頼し委ねることが協働には重要だと感じています。

 

読書会のFBコメントの中にこんなものがありました。

…協働の概念と参加の概念ってたぶん全然違って,協働する主体って自己完結組織だから,プロフェッショナルとして一人でやっていける人間じゃないとそもそも協働出来ない感あって,だからあの絵でも二つの同心円同士が協働してるのであって同心円を構成する各点が協働してるわけじゃないみたいな感あるんで…

 

「協働する主体って自己完結組織だから」その通りだと思います。自分を俯瞰できている人でないと、他人と協働はうまくできません。

 

共同研究にも、協働になっているのとそうでもないのとがある気がします。協働研究の場合、それぞれ何の武器を持っているか自覚している必要があると思います。そして、いつ誘われてもいいように、その武器はいつも磨いておかなければならないわけです。武器を持たないでいると、協働はできないと思うんですよね。

 

加えて、これからは、武器はできれば2つ以上持っているといいと思います。橋渡しになる言葉を知ることができるので。

 

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生きるため

私は気づいちゃったんだ。

100人の人に、「君、賢そうだねえ。」と言われるよりも

1人の人に、「君ともっと話がしたい。」と言われることが人生面白いことを。

 

1000人の人と名刺交換をしても、

10人の人と共に議論し、仕事ができなければ寂しいことを。

 

そのためにすべきことは、読める人だけが読めればいいという高飛車な文を書くのではなくて。いろんな人の気持ちに寄り添って滑り込むようなそんな文を書ける必要があって、それは、それができるなら、それは才覚だし、それは生存戦略だと。

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本を編むまで

嵐のような日のあとは、僅かでも1人の時間をつくり、自分を振り返っておきたいと思います。今日は、私が本を書くようになったところから、今までのことについてを。

 

私はこれまで何冊の本を読んできたか検討もつきません。他人の部屋に行くとつい本棚に目が行き、こっそり写メを撮りたくなるような人です。今でも父の書斎に行くと新しい本が増えていないかチェックしてメモします。

 

そんな私は、これまで6冊の本づくりに関わってきました。

 

初めて本に関わったのは大学院博士課程の時です。編者の方から、学会の選書原稿の依頼があったことを指導教員に話すと、少し心配されたことをよく覚えています。確かに、当時の私は乱暴な文を書いていたし、知識も無く、ときに配慮のない表現もし。私自身も、本を書くにふさわしい人とは思えていませんでした。しかし、子供の頃から、無二の親友だった「本」に関われるチャンスは、しっかり掴んでおきたかった。今思えばあの時の原稿は、書き直したいところだらけですが、あの時期の私に、さっとチャンスを投げてくださった編者の先生には、感謝の気持ちでいっぱいです。

 

次の本は、指導教員と後輩との3人で書いた本でした。出版計画のベースから関わり、どの出版社にお願いしたいかも考え、かつて斯く斯く然々の本があったここにしたいとアポをとり。この本は現在4刷になりました。教科書として、私だけではなく多くの方が使ってくださっていると聞き嬉しく思う反面、書くときはかなり勇気がいる本でした。著者の3人でもう少し議論をしながら本を編めたらよかったのですが、当時の私は自分のことでいっぱいいっぱいで。おそらく後輩もそうで。お互い博士論文も書き終わったわけだし、今ならもっと良い改訂ができるんじゃないかなとひっそり思っています。

 

博士論文を単著で出したときは、本づくりの醍醐味をフルで体験した感覚がありました。JSTから学術出版をする費用面での支援をいただいたこともとても励みになりました。書類作成を苦と思わなくなった転機でもありました。この本は、単著でしたので、思い出は様々あります。厳しい出版社だと思って、研鑽の機会と思い選んだスタートでしたが、編集者の皆様の温かみあるやりとりに、出版社の方は、私と同じく職人なんだなと共感しました。本が出た後、その本を我が子のように面倒みてくださっていること、感謝しています。

 

その後も学会の選書の依頼を2冊いただき、片方は進んでお引き受けし、片方は恐れ多いと思いながらも書かせていただきました。もっと頑張ればよかったなと思うところもあります。いつもその時は、これが限界、と思っているのですが。

 

そして、これまでの本づくりの経験を活かし、新しい計画を立てたのが、次回の著作です。6作目、はじめて、編著者となりました。最初は私に務まるかと不安もありましたが、これも成長の機会と思い、単独編者でやってきました。ようやく、ようやくオビ文言とか装丁とか、そういうところまできて、価格も決まり、本当にほっとしています。この期におよび、タイトルがやや変更(営業部からのコメントを反映)で、『「ラーニングフルエイジング」とは何か:超高齢社会における学びの可能性』となり、初版1600部、価格は税抜き2500円(税込み2700円)と決まりました。兎に角、少しでも値段を安くしたいとお願いし、当初ハードカバー縦書きを提案されましたが、ソフトカーバーを選択しました。文体もです・ます体ですし、横書きです。どんな年代の方にも持って重たくない、読みやすい本にしたいと思いました。

 

新刊を編むにあたり、さまざまな工夫をしてきたのですが、それは今まで関わった4冊の本における経験が活かされています。編者としてもっとも工夫した点は、研究会を運営したことです。

learningful-ageing.jp

これには、

・書籍の読者層を見極める

・内容のファンや支援者を増やす

・活動を可視化する

・対面の研究会を通じ未来の読者からコメントをもらい原稿に反映させる

・忙しい異分野の著者が対面で会えなくても研究会とその開催報告を通じて意識的に交流できるようにする

・もし著者にトラブルがあっても、研究会の講演全文字おこしがあればそれをベースにライティングを促せば原稿が落ちない

という意図がありました。

 

結果的に思っていた時期より1年も出版が遅れたことは、心苦しく思っているのですが、その改善案も考えているので、また、この経験を次回著作に活かそうと思っています。

 

今回、本の装丁は、フルコミットはできない条件を出されており、少し悔しかったのですが、最後の最後で、表紙の写真を、こちら側で選定することができるというチャンスが巡ってきました。もちろん、迷わず、このプロジェクト内でさまざまな写真撮影をお願いしてきた金田幸三さんの写真を使わせていただきました。この写真は、プロジェクトのHPのトップにも使っているものです。書店に並ぶ日が待ち遠しいです。

 

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私のやっている研究領域は、どうしても、概念の普及について論文だけに頼るわけにはいきません。私は、本はそこにいない人同士、時空を越えてつながることができるシンプルで偉大なツールであると考えています。そして、私は書店という場所の可能性も信じています。

 

いつか、こどもの頃にお世話になった、岩波ジュニア新書のような、小中学生も読みやすい本も書いてみたいし、ふらっと立ち寄った医療機関で手に取るような雑誌にも書いてみたいです。私は書くことが好きなので、書きたい気持ちをあたため、書く技術を磨きながら、チャンスを掴んでいきたいと思います。

参加と協働

引き続き、「参加」という概念をめぐって議論をしています。

harinezuminomori.net

読書会では、FBグループを作っており、そこに私は昨日このような投稿をしました。

昨日から考えていたのは、「どこからが『参加』?」ということです。この指とーまれ、とやって指を掴んだ人は参加でしょう。でも、私たちは、その指を立てた人を参加と呼ぶか、もしくは当人は参加と考えているのか。

つまり、リーダーや企画者は、参加という意識をどの程度持っているのかという疑問が湧いてきました。これは逆さから考えると、既に、<参加する人><参加 される何かの側の人>というクラスタがあるのではないか。そして、そのクラスタは、移行があっても混合はしないのか?ということです。私は、そこにいる人が新しい価値を生み出すもしくは価値にコミットすることに関心があるのですが、これを従来の「参加」という言葉がどの程度表現可能なのか、概念として別なのか。あの本の中で、5章が浮いて見えた理由も、その辺と関わっていそうです。

私は、そこにいる人が新しい価値を生み出すもしくは価値にコミットすることに関心があるのですが、これを従来の「参加」という言葉がどの程度表現可能なのか、概念として別なのか。あの本の中で、5章が浮いて見えた理由も、その辺と関わっていそうです。

 

その後のインフォーマルな議論の中で、参加というのはあるところに入るというActionを指し、その後の「参加し続ける」を内包しなケースがあるのではないかということを思い至りました。つまり、「入る/入らない」という二元論に回収されてしまうことがあるわけです。

もちろん、参加には段階があると書かれている文献もあるのですが、前者の価値観が支配する部分が大きいことは、現実として受け止めざるを得ないのではないかと思っています。

 

現在、私は職務で、学習者と成績評価について研修で話すこともあるのですが(先ほども話してきたばかりです)、形成的評価について、いわゆる「評価」の中にそのような考え方があるということをどの程度の方が意識しているか。

参加を学習と捉えるという状況論的視座がありますが、一方で、それは、参加の過程あるいは参加の深さ、多様さを見ていく方法論が必要であり、それなくしては、参加は「ある点」として認識されてしまうのではないでしょうか。これは、日本語の「参加」が「参り加わる」という漢字を当てていることからも推察されます。

 

英語では、join とparticipate(あるいはtake part in )は明確に区別されるべき概念だと思わます。後者は、役割を担うことを示唆しますし、その役割は与えられたものである場合と、発見される役割があると考えられます。

 

読書会課題図書の中では、第一章の最後にこのような記述があります。

さらにいえば、「参加」には発展性がある。参加することの楽しさを知れば「参画」する意欲が生まれる。他者がつくった計画に加わることは「参加」だが、計画の策定段階に自ら加わることは「参画」になる。「参画」の動きが活発な分野では、もっと高次元の現象が起こり得る。それが「協働」(コラボレーション)という活動である。

参加→参画→協働

これが言葉遊びではないということを、さまざまな分野における参加の潮流を紐解くことで検証していこう。

「→」というのは、順接することを指すわけですが、私はまだ、この3つの単語の中に、順接があるとは思えていません。「参加」→「参画」という流れは、教育実践を観察する中で一部の中に頻繁に起きる現象です。しかし、「協働」と「参加」は別パラダイムとして語られる、現象が似て見えるが立脚点が違うものとして考えた方が、私には理解しやすいのです。教育学者としてもう少し踏み込んで言うならば、「参加」と「協働」、その支援原理は大きく異なると考えています。

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